私の好きな高円寺
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その53
明治大学の大学院に入学して、かなり生活にも慣れてきた頃。
福生から御茶ノ水までの通学時間の長さが勉強の障害になってきていたことはすでに述べた。
交通費を考えても、いっそのこと大学まで近い場所に引越ししたほうがいいのではないかと考えるようになった。
大学の近くに、学生向けに不動産を紹介するところがあって、そこに相談することにした。家賃は2万円程度で、少々狭くても、古くてもいいという条件で、4畳半の部屋が見つかった。当時はそのような物件はたくさんあった。
その物件は高円寺にあったのだが、それまでそんな街があることは全く知らなかった。
ここからなら御茶ノ水まで乗り換えなしですぐに行けるということで、たいして何も考えずにここに決めた。
友人は私が部屋を出ていくことを残念がっていたし、寂しがってもいた。しかし、これから先の生活を考えると致し方ないと思って、5月のゴールデンウイークには引越しをすることに決めた。
便利屋でアルバイトをしていたので、引越しは便利屋さんの社長に頼んでやってもらうことにした。このとき社長は私に引っ越し代を請求しなかった。
それどころか、便利屋で様々な仕事の折に手に入るもの、たとえば冷蔵庫や本棚などの必要な品々を私にくれた。セミダブルのベッドを持って行けとやたらとすすめるので、困った挙句もらうことにした。
このベッドのために狭い部屋はさらに狭くなり、私はもらったことを後になって後悔したが、捨てるわけにもいかず、その後使い続けることになった。
なぜ社長があのでかいベッドを私にすすめたのか、その時はよくわからなかったのだが、きっと社長も処分に困っていたのだろう(笑)。
便利屋では引越しや掃除の仕事の際に、いろいろなものの処分を頼まれることが多く、処分が難しいものが、会社の庭にたくさん積まれていたのである。
そのようなわけで、社長と私の二人で、私自身の引越し作業を終えて、5月からは高円寺が私の新しい住処になった。
高円寺は何とも言えない不思議な街である。
商店街は小さな店が所狭しと軒を連ねていて、個性的な面白い店も多かった。
古本屋がたくさんあった(当時)ことも私にはありがたかった。
その部屋は家賃が安い反面、トイレは共同、お風呂はなし。
生活には決して便利な部屋ではなかったが、当時の私の経済事情からは致し方のない選択だった。
高円寺に来てようやく、落ち着いた環境で勉強に専念できることになった(逆に便利屋のアルバイトに通うのが大変になってしまったが)。
私にとってはこの高円寺は、結婚する直前まで結局5年以上も住み続けた。大好きな街の一つである。今でも時々出かけては、当時を懐かしんだり、ずっと昔からあるお店で食事をしたりと、この街での思い出も尽きることがない。
この時の長屋の物件は、もう今は残っていない。その場所には今は新築の物件があって、当時の様子はうかがい知れないが、街の雰囲気は今も何も変わっていないようだ。
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