最先端に騙されるな
日本でも、欧米発の様々な最先端の言葉がもてはやされることが多い。
最近の流行はSDGsだろうか(SDGsは表向き綺麗な言葉で飾られているが、その内容をみるとどうしようもないくらいに最先端でないことがわかるし、とんでもない解決策が並んでいることがわかる)。
「持続可能な開発目標」だそうだ。
世界で最も長い歴史を持つ国はどこだろうか。ずっと持続してきた国どこだろうか。
それは、日本である。
持続可能な社会や国家を目指すなら、日本を見本にすればいい。
また、長い日本の歴史の中でも、縄文時代や江戸時代など、長い期間続いた時代があった。
日下公人という人が、「世界は江戸になる」などという題名の本を書いていたが、世界は日本の江戸時代などに学ぶべきである。
素晴らしい共生社会が実現されていたし、リサイクル社会でもあった。
もちろんそれなりに問題や課題もあったと思うが、欧米由来のSDGsなどに振り回されず、自分たちの先人に学ぶことが大切だ。
ただ、面白いことにAIだのゲノム編集だのSDGsだの、「最先端」とか「最新」などという触れ込みの概念にすぐに飛びつき騒いでいるのは、学歴の高い人々である。いまだに欧米由来の横文字の言葉が一番新しく素晴らしいと勘違いしているらしい。
冷静に考えれば、持続可能だのなんだの、そんなものは過去に学べばもっと優れた方法がいくらでもあったのではないのか。
このような流行の言葉や概念に振り回されていはいけない。
少なくともそこにどんな「思惑」が存在しているかを考えるほどには、賢くなって欲しい。
なぜ、SDGsなどが目標にされているのか。その背景や誰が扇動しているのか。よく調べてみることだ。
安易にそのような言葉に飛びついて先端を気取るのではなく、もしそれが素晴らしい理想だというのであれば、それを実現できる方法を自分の足元から考えて欲しものだ。
その足元とは日本の過去。歴史である。先人たちの知恵に学べ。
脚下照顧して、自分たちのやり方で、社会を発展させ持続させていくことを考える。外国発のメニューに乗るのではなく、自分たちのやり方でそれを考えていく。そのうえで、外国のやり方を参考にしていく。
そのような姿勢が求められるのである。
日本流の持続可能な社会の在り方やその方法を考えて、海外に発信するくらいの気概をもつことである。
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