教授を研究室に訪ねる
試験休みに入った私は、何人かの教授の研究室を訪ねてみることにした。英語の先生、西洋史の先生そして法学の先生など。
研究室に行ってみるとほとんどの教授は快く迎えてくださった。
中には「研究室を学生が訪ねてきるのは久しぶりだ」といっていた教授もいた。意外に学生は訪ねてこないのだという(まあ、それはそうだろうな)。
私はそこで語学の教材を借りたり、本を借りたり、いろいろな話を聞いたりして非常に有意義な時間を過ごすことができた。このころからかもしれない。私の中にある学問志向的な何かが動き始めていた。司法試験の勉強は続けていたが、テスト勉強や資格の勉強、そして法律のような実用的な勉強をすればするほど、真逆な指向性(思想的なものに惹かれる傾向性)が出てくる。
それは高校の時も、受験勉強をやらなければならない時期に、なぜか図書館で哲学者のカントの伝記を借りてきて読んでみたり、三木清という人の「人生論ノート」などという本を買って読んだりして、受験勉強には意味のないことに夢中になったことがある。どちらが自分の本質なのかはわからなかったが、大学の先生と話していると実用の学については意識が飛んでしまい学問的な脳が動き出すのだ。
しかし、先生方はこのような学生との個別のコミュニケーションを嫌いではないらしく、気さくにあれこれと話しをされた。
どんな相手であっても自分から働きかけていくことで多くのものを得ることができる。相手に対して壁を作ると、出会いを無駄にすることになる。私は強くそのことを自覚していた。
もともと私はさして行動的でなく、人の出方を待ってしまうほうだ。小さい頃は信じられないほど引っ込み事案で、幼稚園に行くのに泣いてばかりいて、母を困らせたりしていた。初めての人に会うことが怖くて仕方なかったのだ。
しかしそれでは失うものが多いのも事実だ。高校までの私は小さいころからの引っ込み思案の傾向性を引きずって、ずっと消極的なままだった。
もっと積極的に、話しかけていれば。
もっと自分から心を開いていれば。
もっと出会えた人と多くのものを分かち合っていれば。
そんな後悔がこれまでにたくさんあったのである。
大学ではそのような後悔はしたくない。大学のように自由な空間では何もしないことが失敗なのだ。人間関係に何の利害もしがらみもない。思いつくことは何でも実行に移してみることだと。
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