「個性」という名の色彩
人間には様々な可能性があるという。
確かに、人間は多くの可能性の中から自分なりの選択を行って生きている。
その際に、自分とはこのような人間だとか、自分の能力はこうだとか、そんな前提での選択を行っている。
自分なりの自己限定や他人からの評価で、自分の在り方を決めたり選択しているわけである。
ただ、人間社会での様々な役割は、基本的には本当は誰にでもできるものである。人間の能力や性質はそもそもは非常に可塑性に富んでいて、固定化されたものではない。
その意味では、丸い器に入れば丸くなり、四角い器に入れば四角になる、「水」のような存在なのである。
しかし、そのある種の形に、自分はなれない、入れない、と考えてしまうのは、まさに「自己限定」によるものだ。
そして自分で勝手に決めた、あるいは他人から決められた「形」を、自分の「個性」だと思い込む。
本来可塑性に富んでいる水のような自分を、勝手にある形に凍らせて、他の形の器には入れないようにしている。
人間の個性は「形」ではないのだ。
実は誰にでもリーダーは務まるし、誰にでも組織の末端の仕事も務まる。そのような役割や立場というものは誰でもできるものである。
そして、社会における様々な立場や役割(形)において、「自分なり」あるいは「自分らしい」仕事をすることができるのである。
この「自分なり」あるいは「自分らしい」というのが、個性である。
だから、個性と言うのは、形ではなく「色彩」であると言ってもいい。
どんな役割や立場においても、自分の色彩を大切にした仕事をすることだ。
自分の「色彩」とは何か、を究めることが個性を究めることである。
学生時代に、自分の在り方に勝手に自己限定をして、一定の形に収まるのはやめよう。それはあなたの個性ではない。可能な限り、様々な経験をして、様々な形に自由自在に出入りして、自分なりの働きをしよう。
そこで、自分なりの努力をし、自分なりの結果を残せばいい。
そこに、あなたなりの「色彩」が表現される。そのような美しい色彩の絵具によって世界という絵画は描かれる。
あなたはその貴重な一員である。それがどのような場所か、どのような立場か、どのような役割か、それは実は重要ではない。
水のような柔軟な存在である自分を信じて、様々なことにチャレンジしてみる。様々な形になってみるのだ。
それを「自分らしく」行うことで、あなたは自分の「個性」をつかむだろう。それこそが、あなたに贈られた天からの宝物だ。
それをつかみ得た人を、真の成功者と呼ぶのである。
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