自由と堕落の境界で
残念ながら、当時の大学には「自由」に翻弄され堕落していく大学生を引き止める力はほとんどなかった。今の大学はどうであろうか。
私の大学時代の友人で留年した学生は知っているだけでも数名はいたし、退学する学生も少なくなかった。
一体、四年間という時間をどのように使ってきたのだろう。
この状態が放置されていることは、大学がとても教育機関と呼べるものではないことを意味していた。
「自由」な状態で放置されただけでは、人間は決して主体的にはなれない。
「自由」を使いこなすことは個々人の自己責任かも知れないが、高校を出たばかりの学生たちにそれを要求することは難しいだろう。
私は卒業を前にしたこの時期に、大学に欠けているものが理解できた気がした。
大学には見かけの理念しかなく、大学には真の教育が存在していないのだ。
だから、大学生を正しい方向に導くことができない。
どのように生きて、どのように大学時代を過ごしていけばいいのか、全くわからないままに時を浪費していく。そして、そんなこと考えなくても生活はできるし、何も困ることなどない。
本当は様々なところに自分を導いてくれる人は存在しているのかもしれないが、それを知るきっかけさえもつかめないまま、卒業を迎える。
大学全入といわれる現在、この流れに歯止めがかけられるだろうか。
実は多くの大学生が大学に入学することでかえって自分を見失い、社会性を喪失し、能力を低下させているのではないかとさえ思えるのである。
現在の大学はどうだろう。大学生はどうだろう。これは永遠に問われ続けなければならない大学の、そして大学生のテーマであるはずだ。
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