専門学校と大学について
学生時代をいかに生きるか ―専門学校教師編―その18
専門学校に教師として入職してみて感じたことがある。世間は多くの学生がそれほどの目的意識もなく大学へと雪崩をうっているが、ほとんどの学生にとっては専門学校の方がいいのではないか、ということだ。
そもそも大学はすでに「学問の府」とは言えない状況になっている。ほとんどの学部での勉強は職業訓練に近いものではないのか。それなら専門学校でいいのではないか、ということだ。
しかし、大学での様々な課外経験も捨てがたいものがあり、大学の自由の中に、ある種の可能性を見出す私としては、何とも言えない気持ちで専門学校の教師として働いていたことは事実である(専門学校は学生に対する縛りが多い)。
公務員になるための専門学校というのは、もはや受験予備校と変わらない。そこに学問的な視点や姿勢は要求されないし、必要でもない。ただそこには学生同士の学び合いやつながり、教師との交流もあり、大学と同様なものもまた存在するのである。
公務員になりたい大学生は、大学の授業で公務員試験の勉強ができるわけではないから、公務員試験の予備校などにダブルスクール状態で通うことになる。
もちろん、民間企業では、いまだに大卒(大学の中でも)と専門卒では学歴フィルターがないわけではなく、とりあえず大学には行っておけ、という考えも一理はあるわけである(といっても大学ならどこでもいいというわけでもないが)。
現状をみると、大学がすでに専門学校化しているといえるだろう。中には公務員学科を作るような大学も出てきているのだ。まさに学問をやる場ではなく、専門学校や予備校化している。このような大学の在り方に対しては、学問の価値を知る大学の先生方が異を唱えるのもわかるというものだ。学問の価値や味を知らずして、大学(最高学府)を卒業するというのだから。
だが、一方で故松下幸之助氏は、日本の将来を予測した本の中で、専門学校が高等教育のほとんどを占める時代が来るということを述べておられたと記憶している。大学という名前のままだが、現状はすでにそうなっており、就職につながるという意味では、学生や保護者のニーズも高いのである。
その意味では今後の若者は、大学だから、専門学校だからという区分ではなく、自分の将来の仕事につながり易い学校を選択すればいいのではないかと思う。学問の世界に入りたい人は大学院を目指すのもいい。しかし、大学が大衆化してしまった現在では、学問適性のある学生は、大学生の中では、ほんの一部に過ぎないはずだ。
だから、大学も学生の需要に応じて変化しているに過ぎないのだろう。
従って、大学にしろ専門学校にしろ、その出口をきちんと意識して選択することが必要なのである。そしてその選択の責任は、自分でとる気概を持たなければならない。その前提でそこで努力することが必要だ。
環境のせいにするのではなく、環境をいかに活かし使いこなすかという積極姿勢以外に、自分の道を開く方法はない。
求められる面倒見のいい大学、面倒見のいい専門学校。これが学生の責任意識や主体性を奪うことがないように教育機関としての役目を果たす必要があるのである。その意味では、そこにいる教職員の責任もまた、大きいものだと言わなければならない。
学生はどんな進路を選んでも、その環境に不満はあると思うが、受け身の姿勢ではなく自分で何かを生み出し、自分で何かを経験し、自分で何かを変えていって欲しい。
そのような姿勢で学んだプロセスの中にこそ、将来の自分を大きく開花させる種子が数多く含まれているのである。
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