完全主義者の不完全な人生
世の中には、色んな人間がいるが、潔癖で完全主義的な人がいる。些細なミスも、いい加減さも、小さな悪も許さず、潔癖で完全主義的な人だ。
もちろん、そのような人は、完全さや潔癖さを求めているから、自分に対しても、他人に対してもそれを要求する。
もちろん仕事をするうえで、このような完全主義的、潔癖な態度や仕事が必要な場合もある。少しのミスも許されない、完成を求められる仕事もあるだろう。
しかし、人間は完全主義や潔癖さを人生の中心に持ってきてしまうと、基本的に幸せになれない。
潔癖なるがゆえに、自分を責めたり、他人を責めたりして、心が落ち着かない。
そして最後には、些細なことですべてを投げ出したりする。
極端に言えば自殺するような行動をとってしまう。
完全主義のはずなのに、人生を不完全な形で終わらせてしまうのだ。
ところが、一方いい加減に見えたり、ミスや失敗をして、なかなか完全に生きられない人もいる。
そのような人は自分の不完全さを知っているから、他人を責めることもなく、自分を責めることもない。
傷は多いかもしれないが、なぜか心は安定している。
いい加減だから、失敗やマイナスがあってもまあ仕方ないとあきらめて、流してしまう。
そのような人が多くの傷を作りながら、同時に多くの学びを得て、人生を全うする。
不完全な人間なのに、完全な人生(学び多き人生)を送るのだ。
若いうちにこの逆説に気づいて欲しい。人生にはいい加減な部分があってこそ、また遊びがあってこそ学び多き人生を送ることができ、多くの人々と良好な関係も築けるのだ。
完全主義や潔癖症を捨てて、汗にまみれ、土にまみれ、失敗やミスや恥を繰り返す。
それでいいのである。
完全主義者になって、些細なことですべてを投げ出し、極端な場合は自分の人生を投げ出す。
そんな人間になってはならない。
自分の人生を全うすることは天から与えられた使命である。
不完全でもいいから、その天命は必ず全うすることだ。
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