人間嫌いになってはいけない
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その48
大学時代には、すぐに授業に出てこなくなり、自分の部屋に引きこもってしまう学生がいた。
人間関係がわずらわしい、とか、サークルの人間関係がうまくいかないとか。
そのような面倒臭さは、人間同士の関係の中ではつきものである。大学も、ある種の社会の縮図であるから、先輩や後輩、同級生、先生など様々な人間関係がある。
人間というのは、本当に理不尽なもので、一貫性や論理性で考えても、理解できないものである。
感情があり、様々な空気や、場の力、多くのものの影響で変化する。
それぞれに個性があり、それぞれに背負っている背景があり、今まで生きてきた経歴がある。場や状況が違えば、これまでとは違った行動をし、違った発言をする。また、自分一人の時に見せる顔と、他人の前で見せる顔がまるで違っていたりもする。
しかし、それが人間であり、誰もが自分自身も、このような面が全く無いなどとは決して言えないだろう。
そのような意味で、大学時代に多少の人間関係でのつまずきなんかで、決して人間嫌いになってはいけない。
人間の全体をつかむことは、それほど容易ではなく、困難なものである。
相手をこのような人だと決め付けるから、それと違った面を発見して傷ついたり、失望したりする。
しかし、それはそうする方がおかしいのだ。人間は変わっていくものであり、場合によっては短期でも変化するものである。
人間を信じるということは、ある程度の理解を前提としながらも、その未知の部分を受け入れることを意味している。だから、自分が理解した範囲で、自分が知っている範囲で、相手を信じるというのは実は、おかしなことなのである。
まだ見ぬ、相手の未知なる部分を受け入れることが、相手を信じるということである。
安易に相手を理解した気持ちになっているから、それとは違う面が見つかっただけで、大騒ぎし、失望する。
そして自分の理解を超えた部分に関しては、相手を異常であるとか、非常識であると決め付ける。しかし、果たしてあなたの、今までの、相手に対する理解は正しかったのだろうか。
しかし、信じることは知ることよりも広く、深い。
相手を信じるということは、相手の未知なるものを理解し続けるということを
「自分に」約束することだ。
学生時代の人間関係の中で、それを会得することは難しいことかもしれないが、少なくとも、様々な人間関係のトラブルやつまずきも、相手を理解し、自分の器を広げるための勉強の機会だと考えよう。
そして、どのような人間関係のトラブルや、問題や、つまずき、裏切りなどにあったとしても、それによって人間を嫌いになることがないようにしたいものだ。
なぜなら、相手にとっては自分もまた、そのような人間かもしれないからだ。
自分にとっては理解できない面を友人がもっていたとしても、それにはそれなりの根拠があるものだ。それが理解できれば、相手を嫌いになったり、人間不信になったりはしない。
相手の未知なる部分を、受け入れることが、相手を信じるということであって、実はその力は、無意識に人間の社会や目に見えない様々な存在に向けられているものだ。そして、それこそが未来を創っていく力でもある。
学生時代は特に、自分の思考を開いておかなければならない。
様々な人々に対して、色々な社会や文化に対して、そして、目に見えない数多くの存在に対して。
これが、実は幸せになっていくために必要な力であることが、たとえ今はわからなかったとしても。
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