「ボケ日和」 長谷川 嘉哉
最近の学生と面談していると、意外にも自分の祖父や祖母の面倒をみたり、世話をしたりする経験のある学生が多いことに気づく。体の弱った祖父母、認知症になった祖父母、また病で死を迎える祖父母。
彼らは自宅(実家)に住んでいて、祖父や祖母と同居しているということなのだが、そのような経験は非常に価値のあるものであると思う。祖父母と一緒に生活していて、高齢者と身近に接し、認知症になった祖父母や次第に年老いて死を迎える身内の、生活や肉体の変わりゆく状況を経験するのである。
それは人間としての経験としては欠かせない、価値あるものだと思うのだ。実際にそのような学生はその経験から、自分の仕事や将来の夢や、自分のあるべき人生観について考える大きなきっかけをもらっている。一見大変にも思えるこのような経験が、彼らの人生観を変えたり、深くしたりするのである。
さて、この本は、認知症に関する本であり、認知症がまずどのような形で現れるのか、またそれが進むにつれてどのような症状が出てくるのか、またそれにどのように対処すべきかが述べられている。わかりやすく読みやすい文章の中に、多くの知恵がちりばめられている。
私の周囲にも、認知症の家族をもっている人が少なくない。それほど身近なものであるが、意外にほとんどの人は適切な対処の仕方を知らないものだ。
このような本を1冊読んでおくだけでも、介護をする側もされる側も、全く違った結果が得られるのだから、やはり知ることはとても重要だと感じる。
認知症の予備軍から初期の症状、そして中期の症状や末期に至るまで、そこで必要な内容がまとめられているから、これを読んでおくことで、介護する立場になった時も、される側になるときも、必要な考え方や対処の仕方を知ることができるだろう。
著者は多くの認知症の患者や、患者の死を看取る経験も豊富である。認知症に対して、また死に対して、私たちが陥りがちな様々なポイントについて、経験に基づいた適正なアドバイスが与えられている。
認知症などと診断されると、絶望的な気持ちになる人は多い。それは本人であっても家族であっても同じである。ただちょっとしたことを事前に知っておくだけで、不幸な状況に陥ることを回避できるのではないだろうか。
私たちの人生はこのように、ちょっとした知識やちょっとした知恵があるだけで乗り越えられることが数多くある。しかし、それは学ばなければ決して知ることはできない。知らないことや学ばないことで不幸になることはこの世界には無数にある。
この本の題名のように、ボケや認知症、そして最後は人の死でさえも、和やかな気持ちで迎えることは決して不可能ではない。最後は何とかなるものだからである。その意味で、このような本には、人生において必要な知恵がたくさん詰まっているように思う。また人間とは何かということを考えさせてくれる。
特に若いうちには、いつまでも自分も元気で健康であり、病気になることや死については考えないものだ。この本の著者は、自宅で死を看取ることをすすめている。また延命治療についても否定的だ。多くの人の死を看取ってきた著者であるからこそ、なぜそうなのかの理由は説得的である。
人間には三つの驕り(おごり)があるという。「命の驕り」「健康の驕り」「若さの驕り」である。この三つの驕りは若く健康なうちには気づくことが難しい。しかし、若さも健康も命も、基本的には必ず誰もがいつか失ってしまうものだ。
この三つの事柄の価値や重要性、そしてそのはかなさを知るためにも、若い時代に「命」「健康」そして「若さ」(老い)について考える機会を持つことは非常に重要なのである。親族の介護や死を通して、そのような機会を身近に得られるならば、それは非常に価値のあることだろう。
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