非日常が日常になるとき
間奏曲―フリーターの時代―その3
平日は毎日福祉バスに乗って、高齢者や障碍者の方と関わることになった。私にとっては、非日常が日常化したわけであり、精神的にかなりきつかった。
ただでさえ、人の扱いが下手な私が、健常者ではなく障害のある方たちと日常的にかかわることになったのである。もちろん自ら望んでこの仕事を見つけ、飛び込んだのだが、どうしていいのか、全くわからなかった。
バスの運転手さんは、福祉施設の子供たちとも仲良く、言葉ではないコミュニケーションをとっている。
私はなすすべもなく、ただ扱いに気を付けて腫れ物に触るような対応をしていたと思う。毎日、仕事が終わるたびにほっとして、心労が半端ではなかったことをよく憶えている。
相手に質問しようもなく、私のことを話しても、どこまで理解しているのかさえ分からず、ただただ毎日なすすべもなく、子供たちや高齢者に接していた。
このようなことだから容易に慣れるはずもなく数か月が過ぎていった。
福祉センターの職員はしかし、本当に毎日元気で、明るく子供たちに接している。かなりのエネルギーが必要であると思ったが、彼らはおそらく子供たちを特別な存在として見ておらず、健常者と同じような感覚で接していたに違いない。
私にとっては、あまりにも大きいコミュニケーションギャップに、右往左往するばかりだった。
運転手さんがいつも元気に明るく、子供たちに接していたのには本当に教わることが多かったと思う。通じていようがいなかろうが、自分が元気で明るくふるまうことが大切なのだった。
私が子供たちに多少慣れて、これまで非日常だった世界が自分の中で日常化するまでに半年ほどが必要だった。
バスに乗ってくる子供たちはいつも同じメンバーだから、少しずつは慣れてくるものだし、子供たちの反応が十分につかめなくても、明るく優しく接していようと、そう思った。
また、バスの運転手さんの対応や、福祉センターの職員の接し方をみて、ずいぶんと学んだと思う。次第にその対応も普通にできるようにはなっていった。ただいまだにその当時、こどもたちが私にどんな感情や気持ちを抱いていたのかについては、全くわからない。
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