本当の賢さを求めて
民主制の政治制度の下では、国民が賢くないと、賢い政治は決して行われない。
賢い政治とは、自国民を幸せにし、豊かにし、憧れられる国にし、世界に貢献できる国にすることである。
しかし、今の日本はどうか。もはや説明を要しまい。
賢さとは学歴も、学校名も、全く関係がない。
東大を出ようが、早慶を出ようが、多少の賢さが大学入学時に証明されただけで、その後は保証の限りではない。
その後は、調べ続け、学び続け、考え続ける者のみが、賢い国民であり続けることができる。
しかし、日本人の多くが、この本当の意味での賢さを有していない。今、知識が多いとか、たくさん本を読んでいるとか、そんなことが問題ではない。調べ続け、学び続け、考え続ける、この継続的作業の動力源と、方向性を有しているかが、賢いかどうかの判断基準である。
多くの学歴エリートはそれを間違えて、自分たちが賢いと思い込んでいる。そして大きな間違いを犯すのだ。
また、愚鈍な世界に転落する要素は他にもある。
それは、欲望に負けるということである。
自分が学んだことやその知恵を、自分を活かし、他人を活かし、社会のために使うのではなく、自分の欲望を叶えるために使うようになる。お金のため、名誉や地位のため、異性のため。
この手の世界に落ち込んでいる優秀層も日本には非常に多い。そしてそれをずるがしこく正当化するために、自分の知恵を使うようになる。
どうか、本当の賢さを求めて欲しい。
それは、頭脳だけではなく、心の在り方や行動の在り方でもある。
学生のうちに、真の賢さとは何かを考えて、ひとつひとつ身につけるようにしていくのだ。
そこに、初めて自分や他人や社会を幸せにできる、本当の賢さが見えてくる。
それを求めて止まないことだ。
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