誰かを幸福にする幸福
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その14
私が学生だった頃、私の通う大学には東南アジアから留学生がたくさん来ていた。
彼らは一様に、日本にやってきてがっかりした、と言っていた。
日本人は勤勉だ、などという評判をきいて来日しているアジアの学生も多かったからだ。
その頃の私の大学の学生は、ある程度の景気の良さにも浮かれていて、勉強しない、ルールを守らない、礼儀やマナーも悪い、といってもよかった。
その意味では現在の大学生の方が、かなりいいのではないかと思っている(あくまでも全体的な印象として)。
日本の大学生があまりにも勉強しないので、怒っている留学生もいたとか。
日本人は一定の経済的成功を収め、進むべき方向を持ち得ない状況にあった。
これはしかし、今でもそうではなかろうか。もうある程度は満たされていて幸せなのかもしれないからだ。
そのような日本の学生に提案したい。
自分は経済的にも環境もある程度は幸せだろう(ただ現在は学生間でもかなり経済格差はある)。
だからもっともっと勉強して「自分以外の誰かを幸福にする幸福」を求めて欲しい。
そう考えれば、対象は無限に広がる。身近な人から地球の裏側にいる人まで。
「誰かを幸福にする幸福」を求めだしたら、自分の成長は無限になる。学ばなければならないことも、やるべきことも。
そしてその幸福感も無限に大きくなっていく。
日本人は国家としても、個人としても、このような観点から自分たちのあり方を考えなければならなくなっている。
これまで、この豊かさは自分たちだけで実現してきたわけではない。商品を作っても買ってくれる人がいなければ、経済は成長しないように、いつでも誰かを相手にしてこそ、人間の幸福は大きくなる。
だから「誰かを幸福にする幸福」を、個人レベルでも、国家のレベルでも、自分たちのテーマとしたいものだ。
追記)この文章を書いたころはまだ日本はある程度豊かだったが、国策の誤りで、この30年間賃金は上がらず、安く貧しい国になりかけている。しかし、それは日本が自分たちの誇りを失い、縮小気質が続いているからだと思う。もっと外向きの大きな目標を掲げて、それに挑むことで、日本はもっと豊かになれるだろう。政治があてにならない現在、個々人が自分の責任で奮闘するしかない。しかし、民主主義の世の中、政治家の在り方は結局国民が決めているのであって、自分たちがチャレンジャーになるしかないのである。
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