若者の政治参加について
「人間はポリス的動物である」とは、アリストテレスの言葉である。
ポリス的というのは政治的、あるいは社会的と言ってもいい。
その本性として共同体を作り、生活していくものであるということだ。
その構成メンバーは、当然のことながら自分自身の人生に責任を持つと同時に
その属するところの共同体にも、責任を持たなければならない。
それは家族や地域社会、国家などである。
地域社会や国家については、それが制度化されて民主制が取られている。
この民主政治を実現するためには、歴史的にこれまで様々な確執や混乱、犠牲があったことは言うまでもない。
その結果得られた果実を、無駄にし、放棄し、ないがしろにしているのが今の日本の国民の姿だろう。
「選挙に行かない」というのが最もわかりやすい例である。
また日常生活でも、政治に関心を払わず、自分の地域や社会、国に対して興味を持たない。知ろうともせず、何も学ぼうとしないという現実がある。
日本の選挙は地方選挙も国政選挙も投票率は低く、20%~50%くらいの投票率だ。
選挙法の改正で18歳から選挙権を与えられたことによって、大学生なら誰でも選挙権を持っている。
しかし、その民主制の重要な権利であり、同時に義務(法的にはそうではないが)である選挙権を放棄する若者は多い。
どんな立候補者も同じようなことを訴え、有権者が喜ぶような話をする。確かにそれでは区別がつかないから、だれに投票したらいいのかわからない。こういうことかもしれない。
しかし、たった一つだけ、本当に日本の未来を考えている政治家であるかどうかを判断する基準がある。
それはすでに亡くなった台湾の総統であった「李登輝」の言葉。
李登輝は、その政治家が本当にその国の未来を真剣に考えているかどうかは「その政治家が若者に関心を持っているかどうかでわかる」という。
「若者に関心をもっていない政治家は偽物」であると。
教育の在り方や若者の将来にかかわる政策を真剣に訴えているかどうか。
これは選挙前に国民の歓心を買うためだけにお金を配ろうとする、下等な政治家には決してできないことである。
経済的利益に訴えて票を勝ち取ろうとする政治家は、自らもまたそのような金銭的基準で政治を行い、生活している人々であることを忘れてはならない。
政治家であり続けることが彼らの仕事になっているということだ。
地域や日本の未来を考える時、物事や問題の根本解決に取り組もうとしているかどうか、それが教育をはじめとして、若者に対する政策に表れるわけだ。
だから、だれに投票したらいいのかわからない場合は、このような基準で「候補者」をみるといいだろう。
そして自分でもしっかりと自分の属する地域や日本について、その現状や課題について学んでほしい。
人間の本性を活かすために、多くの先人たちが努力し苦労して実現してきたこの民主制の果実を、決して無駄にしないことだ。
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