自由を使うために
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その7
大学生がある程度の自由を手にしているということは全くそのとおりだろう。
しかし、現実的に自由はそれだけでは何も生み出すことはない。
私が学生だった時代も、そして今も、学生たちはこの「自由」をうまく使いこなせていないのではないだろうか。
学生時代は金銭的な自由の領域はあまり広くはないだろうが、時間に関しては人生で一番多くの自由を手にしているかもしれない(もちろんその後経済的、時間的な自立を手にする人も出てくるだろう)。
自由な時間はそれそのものは価値中立なものであり、まさしくお金のようなものである。
良いことにも悪いことにも使うことができる。
自由というのが学生にとってある種の特権であるならば、それをどのように使いこなすかということは、学生時代の重要なテーマであるべきだろう。
しかし、大方はその自由な時間を浪費して、あっという間に社会に放り出されるのである。
自由が堕落を生まない唯一の方法は、その自由を主体的に何か価値あるものに対して振り向けるということだ。
「価値あるもの」
それは自分にとっての、そして他人にとっての、また社会にとっての「価値あるもの」でなければならない。
もちろん自分をしっかりと作っていくことは、将来大きな仕事をしていくための基礎になるものであるから、学生時代の時間は自分作りに向けていくことが中心になるだろう。
歴史上の人物に、身近な人物に、社会で活躍している人に、その理想像を求めると良いと思う。ただし、基本的にはにその人のようにはなれないので、それは承知の上で、尊敬できる部分を吸収するのだ。
そして素直にそのような人物の真似をしていくことだ。
現代では多くの学生は大人を尊敬できなくなっているかもしれない。
教師も政治家も、その他多くの有名人も、誰も彼もが数多くの失態をメディアで報じられる時代だ。
それならば、過去を見ればいい。歴史に学べばいい。
そこには多くの人々が長い間尊敬の二文字を冠し続けた人が山のようにいるのである。ただ、もちろん彼らとて人間であったのであり、完全ではない。人間から学ぶときにはその対象を勝手に理想化したり、偶像化したりしてはならない。学ぶべき部分を学ぶのだ。
自由の荒波を乗りこなすために、自らを高みに導いてくれる「尊敬」できる人物を探そう。それだけでも、大きな手掛かりを手に入れたことになるだろう。できればタイプの違う複数の人間から多くを学ぶといい。
自分の中の多様な個性が刺激され、器が大きくなっていく実感が得られることだろう。
また、身近な人間の中に、全てではないにしろ、尊敬できる部分をしっかりと見つけて、それを模倣していくことも必要だ。
そうしていく中で、逆に自分らしさが磨きだされてくるものなのである。
大学時代は、活動範囲を大きく広げることができるのだから、学ぶべき対象は無限にあると言ってもよい。それを決して無駄にはしないことだ。
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