自由の怖さについて
大学院に合格したことで卒業後の(暫定的な)進路は明確になった。
あと一ヶ月ほどで大学を卒業するという時期にきた。
私は大学を卒業するために必要な単位は大学3年次までにぴたりとそろえていた。つまり4年時に必要な授業は週に1回のゼミ(私の場合は週2回)だけだった。
残る必要な単位はゼミの単位と卒業論文の単位だけだ。おかげでこの一年ほどほとんど大学に拘束されることなく、様々な経験を積み、勉強や読書に時間を割くことができた。
大学で単位をとるということ自体はほとんど何の困難もなかった。
普通にやっていれば卒業できないなどということはありえない話だった。それくらい基準は甘かったと思う。
しかし一定数の学生はこのような状況下でも留年していくのである。目的のある留年ではない。単位をとれずに留年するのだ。厳しい言い方をすれば、その程度の勉強すらしなくなってしまう学生が一定割合で存在したということである(実際に私の周りにも何名かが留年した)。
私はそのような学生たちを見ながら、「自由」の恐ろしさを実感していた。
入学時、意気揚々としていた学生たちの多くが、「自由」の力で活力を失い、やる気を失い、希望を失っていくのである。このことは、私に何らかの衝撃を与えたと思う。ようやく大学受験の束縛を逃れて、窮屈な高校生活から解き放たれたというのに。
行き先のない状態で大海原に乗り出した船は、難破しやすいのだろう。
多くの学生たちにとって「自由」は堕落へと続く道だったのだ。
私が自由の在り方について考えるようになったのは、この頃からだった。
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