自由になりたいあなたへ
自由でありたいというのは誰でも理想とするところかもしれない。
自由であることを望むのは、何かしら、今の自分には不自由なものがあり、それに対して不満を抱いているからだろう。
時間的な自由、経済的な自由、社会的な自由。
時間に縛られずに生活できたらどんないいいだろう。お金がたくさんあって、欲しいものが全て手に入ったらどれだけ幸せだろう。人間関係や組織の束縛やしがらみ、他人からの評価から自由になれたら、どれだけスッキリとするだろう。
そう考えて、人は自由を目指すのである。
しかし、自由とは本来「自らに由来するところのものに従う」ということだ。
それならば、自分の中に自分を正しくコントロールできるだけの強さや手段、そして方向性がなければ、自由は最も不幸な結末を招く。
「自由からの逃走」(エーリッヒ・フロム)という本があるように、人間は本質的に、自由を自ら手放し、放銃に流れるか、何かの権威(宗教家、政治家、マスコミ、専門家など)に安易に従うことを選ぶものでもあるのだ。
しかし、それでも自由を目指すことは価値があり、意味がある。それは自由こそが、最も人間らしい欲求でもあり願望でもあるからだ。
だからそれを求めながらも、
そこには厳しい試練があること。
実は不自由を感じながら生きていた方が幸せだったということが起こりうること。
それをよくよく自覚し、自由の道が厳しい道であることを(自由になるためにも、そして自由になってからも)認識しながら、自由の根拠になる「自分の本質」を極めなければならない。
自分というものを何によって根拠づけるのか、方向付けるのか。
それを求める旅路こそが、自由への道である。
それを忘れることなく、今日もまた自由への厳しい道を歩んでいこう。
Share this content:
コメントを残す