自分の生きる意味と価値を問い続ける
若いころには特に、自分の人生の意味や価値を疑問に感じたり、そもそも人生に意味があるのだろうかとか、生きる意味は何なのだろうかとか、考えることがあるはずだ。
それは自分の人生の目的と使命について疑問を持つことでもある。
これについて、様々な人の意見を聞くこともあるだろう。
人生には意味がある。だからそれをつかもう。という人もいる。
人生にはそもそも意味などないのだから、できるだけ楽しい人生を生きればいい。という人も。
色々な考え方があるとは思うが、私なりに得た結論は、
「人生には大きな意味での意味が存在するが、個々人の人生の意味は個々人がつかむしかない」
というものだ。
人間には共通の生きる意味がある。私はこれを否定する人には決して賛同できない。
しかし、個人の生きる意味は固有のものであるから、その人個人のものである。
この二つの意味をつかむためには、問い続けるしかない。
問いをやめないことが大切だ。
しかし、私たちはしばしばこの問いをやめてしまう。いや、もはや大人になってからも、これを問い続けている人はどれくらいいることだろう。
人間にとって最も重要な問いを何故止めるのか。
それは、しばしば目先のお金のために、生活や仕事のために、様々な事件のために、そして娯楽のために、である。
問いをやめた瞬間に答えは遠のく。
だから、問い続けなければならない。考え続けることだ。自分の意識からこの問いを決して追い出してはならないのである。
そして、おぼろげながらにでも、その意味がつかめたら、自分自身の価値も明確になってくる。
その価値は、この世界で、あなたが果たすべき役割とともに立ち現れてくることだろう。
人生の様々な局面で、あなたの目の前に現れてくる事象の中に、多くのヒントが含まれているのだ。
だから、問い続けることをやめてはならない。
この問いは死の直前まで続く。
わからなければ、死の間際までも問い続けることだ。
多くの人間はなぜ、この最も人間らしい重要な問いを放棄して生きるのだろうか。
この問いこそが人間の尊厳をそのまま示していることがなぜわからないのだろうか。
あなたは、人生の途中で心に浮かぶこの素朴な問いを、決して忘れてはならないのである。
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