自分の変化を楽しむ
人間には、他の人と同じ部分と、他の人と違う部分の双方が存在する。
本当は、他の人が持っている性質で、自分には全くない、という性質は存在しないのだが、長年の習慣や様々な環境、他の人の影響、本人の努力などで、傾向性に違いが出ているだけである。
この部分を強調すると「個性」と言うことになるのだが、もともと個性などと思っている部分は際立った傾向性に過ぎないから、実は他の人もささいではあるが持っているものである。
人間は違いにおいては協力し合いながら助け合い、共通の部分においては共感や理解によって一つになれる。
他の人と同じ部分と、他の人と違う部分。
この二つの自分をお互いの幸せのために使っていくことが必要だ。
この二つは、二つとも自分なのだから、大切にしなければならない。
たとえ、他人のもつ自分とは違う部分に目を向けたとしても、自分の中にもほんの少しはそれと同じものが存在しているはずだ。
そう考えると、自分と言うものをどのような人間にしていくかは、自分で決めていくことができることがわかるだろう。
それが困難に感じるのは、自分の思い込みと決めつけ、勝手な限界設定によるのだ。
人間はその性質上はどのような人にもなれるのだが、多くの人は、長い習慣と自分自身の自己決定によって自分はこんなものだという枠の中にいる。
あなたは素晴らしいとか素敵だとか、尊敬できるとか、そう思える人がいると思うが、そのような人のようになることは可能である。
考え方や行動の習慣をすぐに変えることが難しく、それには時間がかかり、それに耐えられずに、また元に戻っていくから、それが困難に感じるのだ。
どんな自分になるかを自己設定して、毎日演じ続けることができれば、それがやがて自分になる。その意味では他人の模倣や真似は意味があると言える。
他人と違う部分を大切にしながら、同じになりたい理想の部分があったら、それを習慣にして模倣を続け、自分のものにすればいいのである。
例えば、もっと積極的になりたいのであれば、積極的な人を模倣してそれを継続し習慣化すればいい。積極人間を演じてみる。完全に理想通りにいかなくても、そうやって自分を変える努力をすることで、環境にも変化が起きる。
そしてその環境によって、また新たな習慣が生まれて、新たな自分が形作られていく。
完全でなくてもいい、その些細な変化を求める姿勢が重要だ。
そうすることで、他人と関わり、他人から学ぶことも楽しくなる。そのように「どのようにでも変わっていける自分」を楽しむこともまた、人生の醍醐味なのである。
学生時代はそのような機会を大切にして欲しい。変わっていく自分、変わることができる自分を発見することで、将来への大きな自信が得られるはずだ。
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