自信を超える力
自信がないとか、自己肯定感が低いという若者が増えている。
自分に自信を持つということは、そう容易ではない。
以前にも書いたが、自信を持つのに根拠なんていらない、という人もいる。
しかし、それは私にとっては似非自信であって、本当の自信ではない。
本当の自信は、努力の継続と、一定の他人からの評価がないと、現実にはなかなか持つことが難しいものである。
だから、学生には少なくとも、自分で自分を褒められる程度の努力の継続をすすめたいのである。
その後の他人の評価は、自分ではコントロールできるようなものではないから、期待しない。
結果が出せる自分になるように、ただただ愚直にコツコツと努力を続けるしかない。
しかし、自信がない自分であっても、新たなことに取り組んだり、やったことのない仕事をやらなければならないことなどいくらでもあるだろう。
その時は、もはや「やるしかない」のであって、そこに自信などそもそも存在しない。
ここに、自信さえ超える力が必要になるのである。
その力は「勇気」である。
恐怖心を克服し、失敗を恐れず、責任を取る気概を持つ。
自信とは違って、この「勇気」を持つのには根拠はいらない。
根拠のある「勇気」などない。
そんなものがないところにふるいだたせるのが「勇気」である。
これは自分自身の中で、いや自分自身でなければ振るうことができないものだ。
しかし、だからこそ、自信を超える、大きな力を持つのである。
自信などなくてもいい。
思い切ってやってみる、思い切って飛び込む勇気。
この自信さえ超える強力な力があれば、ほとんどのことは可能である。
そして、この力は、どんな性格や個性の人間でも、必ず有している神様からの贈り物なのである。
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