「背景と構造」の探求
世間には様々なニュースが流れる。
また、決してマスコミでは流れないニュースもある。
幸いにして今ではSNSなどをはじめとして情報を得る手段は増えたと思うが、もちろんそこでの情報が真実であるかどうかはわからない。
事実もあればフェイクもある。
また生成AIなどによって、画像や映像によるなりすましも容易になってきた。
実はインターネット上は自由であるように見えながら、ここでも情報統制はかけられているし、政府の流す情報が正しいという担保ももはやない。
政府をはじめとして様々な関係省庁から流される情報は、現状を表しているというよりも、一定の政策を容易に実施できるようにするための操作がなされていることも多い。
こうなると信用できる情報元というのは事実上存在しない。と考えなければならない。とはいっても、詳細な調査や広い視点での情報発信を行っている人は無数にいる。そのような人たちを自分なりに精査し、情報源の一つとすると良いだろう。
媒体としては、最も統制されていない情報源は「書物」であろう。だからこそ学生諸君には読書を強く勧めたいのだ。
その前提で多くの媒体から情報を得ながら、考えなければならないことは、その現象や事実の「背景と構造」を考えることである。
大学生ならば、この「背景と構造」を考えたり学んだり、調査したりする力をつけなければ、大学に行った意味などない。
いわゆる物知りという段階で知識のかけらや断片をたくさんかき集め、知っていることを自慢しても、そこに本当のインテリジェンスは存在しない。
目先の情報に振り回され、一時的に反応して、それで終わりだ。
情報や事実に対して、自分の意見や感想を述べるだけなら小中学生でも可能である。
もちろん、そのレベルの学習も必要ではある。
しかし、それでは一向に人間や社会の本質を読み解き、今後の世界や人間のあるべき姿を考えるインテリジェンスは高まらない。
情報による事実の確認から、報道のされ方、また報道されない情報、についても考えながら、その背景や構造を考える習慣をつけて欲しいのである。
そうして初めて、社会や世界の真実に近づくことができる。
あくまでも近づくことができるだけであるが、多くの虚偽のベールで被われた世界の、そのベールを一つ二つとはがしていく作業は絶対に必要なことである。
そして、その時点で自分でできる行動を考える。些細な事でもいい。何らかの行動に結びつけることが大切だ。
大学時代には、このように物事の「背景と構造」を考え、見抜く力をつけて欲しい。
それがマスコミや著名人、専門家などの言説に騙されないための必要な条件である。
マスコミは必ずしも真実を伝えない。
著名人の認識や理解にも限界がある。
専門家が何でも知っているわけではなく、狭い専門領域での知識に過ぎない。
そのような環境の中で、自分で調査し、学び、考え、意見を述べ、他人の意見を聞く。
そうして自分自身を主体として自分なりの世界観や人生観を作り上げていく。
この自分なりの世界観や人生観が、実は普遍性を持つのである。
そしてその力は、自分の身を守り、自分の家族や友人を守る力、そして何よりも未来を創造する力にもなるものであることを忘れないことだ。
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