病院で働くこと

病院で働くこと


学生時代をいかに生きるか まとめ編 その58

自分のこれまでの人生を振り返ってみると、健康には本当に恵まれていて、大きな病気をしたことが一度もないことに気づく。

健康。

人間が当たり前だと思っていることが当たり前でないことに気づくのは、それを失った時だろう。病気になる、あるいは事故に遭って大けがをするなど、そんな状態になった時に、昨日まで当たり前に考えていたことが実に価値の高いものであることがわかる。

これまでに病院に入院したことが確か三度あった。

大学1年の時にバイクに跳ね飛ばされてけがをしたとき(鹿児島時代)。

職場の送別会(名古屋転勤のための)でお酒が原因の貧血でぶっ倒れ、そのまま救急車で運ばれて一晩だけ入院した時(東京時代)。

頭痛がして病院にいったら「即入院」と言われて一週間くらい入院し(家族を呼ぶように言われたのでこれはヤバイと思ったが)、調べたら何ともなく、あっという間に復活した時(名古屋時代)。

この名古屋での入院を最後に、その後20年ほどは全く病院の世話になっていない。

若いころも、病院とはほとんど縁のない生活をしていた私は、フリーターの時に、東京は港区の虎の門病院で働くことになった。

なぜ病院で仕事をしようと思ったのか、自分では明確な目的意識があったのだが、その当時に何か考えるところがあったのは間違いがない。

虎の門病院は大きな総合病院なので、各フロアには多くのスタッフがいて、その中で「看護助手」という仕事がある(今は別の名で呼ばれていることだろう)。私はこの仕事をすることになったのである。

私は7Fの病棟で働くことになった。ここには耳鼻科、神経内科、脳外科の入院患者が入っていた。

当時は景気も良く、働き手が不足していたのだろう(今は別の意味で不足しているかもしれない)。求人の広告を見て応募し。面接を受けたら、すぐに採用がきまった。もちろん正社員ではなくアルバイトである。

人の世話にはなっても、人の世話など皆目したことのない私が、医者や看護師の手伝いをしながら、患者さんの世話をすることになった。

ここで学んだことは非常に多かった。数多くの人々との出会いがあり、人の生き様や死に様をたくさん見た。

人生観が大きく変わったし、自分がこれまでいかに恵まれていたかを実感した。

病気について、老いることについて、死ぬことについて、生きることについて。

私はこの病院の仕事を3年ほど行なった後、専門学校の教員となり、多くの学生たちにこの病院での経験を語ることになったから、やはりこの経験は必要なプロセスだったのだろう。

また、私の妻とはこの病院で知り合った(妻は変人で、看護師の資格を持っているのに、その責任の重さに耐えられず、看護助手をやっていたという超消極思考な人である)。

病院の仕事は、毎日の忙しい仕事の細部に、自分に対する多くのメッセージが隠されていた。

それをつかむことができる程度に、まだこの当時の私は感受性が豊かだったのだと思う。

虎の門病院のスタッフはみんな親切でいい人が多かったし、若い看護師たちも大変な環境の中で一生懸命に働いていた。病院の現場がこんなに大変なのかということもよくわかった。

これまで、色んな人々に出会ってきた中で、虎ノ門病院で出会った人々は、医者、看護師、患者などと非常に多かったのだが、病棟のスタッフの顔は今でも鮮明に憶えている。

記憶力の弱い私にとって、これほど鮮明な記憶は珍しい。自分にとっての特異な経験だったからに違いない。

ここでの仕事は、いわゆる3Kといわれた仕事であったが、自分が健康であるがゆえに、病院で人の世話ができるということ自体も、実は幸せなことだったのだと思う。

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投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

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