何のために学ぶのか(知と愛について)

何のために学ぶのか(知と愛について)


学生時代に、西田幾多郎という人の「善の研究」という本を読んだ。

その中の最終章に「知と愛」という論考がある。この部分を読んだときに、私の長年の心のつっかえが取れたような衝撃をうけたことを、今でもよく憶えている。

簡単に言うと、知と愛は本質的に同じ精神作用であると書いてある。

私は、何のために学ぶのか、何のために勉強するのか、ずっと考えてきたのだが、結局自分を愛し、他人を愛し、社会や世界を愛するため。

そして自分や他人や世界を「理解」することが結局愛の本質であり、知性はそこで輝くのだということだ。「理解する」という言葉によって、「知」と「愛」が融合したのである。

自分を理解し、他人を理解し、世界を理解すれば、おのずから自分のやるべきことがわかるのだと思った。

それは果てしない旅の始まりを意味するが、人間はこのために生まれてきて、生きているのではないかと思うのである。

身近で言えば、何もしてあげられなくても、相手を理解すること、理解する努力をすることが、相手を愛しているということではないかと思う。それは些細なことだが、それだけであなたは知的営みと、愛するという営みにすでに参加していると言えるのである。

そして、学ぶこと(理解すること)は、自分が幸せになり、他人を幸せにするという意味でも、最も重要な要素なのである。

知は愛のために、愛は知(理解)のために。

そして、この二つは、人間にとって、最も尊き精神作用であることを。

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投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

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