水に流すということ
日本人の特性として、「水に流す」ということが言われる。
問題が起きたり、悲劇が起きても、仕方ないこととあきらめ、前を向く。
それは人を恨んだり、天を恨んだり、いつまでも過去にこだわらないという意味では優れた行動様式だ。
しかし、それは同時に過去の失敗から学ばない、過去を検証しない、という不作為に結びつくこともあり、同じ失敗を繰り返す、ということにもつながる。
物事はすべてを水に流せばいいというものではない。
水に流していいものと悪いものがある。
この区別を身につけることもまた、重要な知恵である。
過去の敗戦、災害対策、コロナなどの感染症対策。また、政治の腐敗や癒着などで起こる数々の問題。
このようなものを水に流していては、いつまでも同じことの繰り返しだ。
もちろん失われたものは戻らない。過去は取り返せない。だから本当に仕方のないことはさっさと諦めて前を向くことが大切だ。
ただ、人間が侵す過ちや失敗は、反省が可能であり、次に向けた備えが可能である。
今の日本人はこの区別が十分についておらず、次に向けた備えが必要なこと、自分たちの力で変えることができること、これらをあきらめてしまい、水に流してしまっている。
国家の発展の礎は「自助努力の精神」である。努力を超えた世界で起こることは水に流す。しかし努力で変えられることについては、過去を検証し、評価し、次に向けて歩み始めることが必要だ。
残念なことに日本人の多くは、自分たちで変えることができることについても、自己限定し、努力を放棄し、権利や義務さえも放棄している。
それが政治や社会への無関心に如実に表れている。
努力の範囲を自分の身近な生活だけに限定せずに、それを広げていく努力をしなければならない。
学生時代には、是非そのような視点、水に流すべきこととそうでないことを区別する知恵を、学んでほしいものである。
Share this content:
コメントを残す