死ぬ気で勉強してみろよ

死ぬ気で勉強してみろよ


学生時代をいかに生きるか ―専門学校教師編―その24

専門学校に来る学生たちは、基本的に自分の目標ややりたい仕事を明確にして入学してくる学生が多かったし、だからこそクラスみんなで目標に向かっていける強さが生まれた。

しかし、そのような中でも自分の甘さに負けて、学習をさぼったり、本気で取り組まなかったりする学生がいたりもした。そのような学生の存在は、時としてクラスにとって大きなブレーキになることがあった。

正直に言えば、大学なんて行かなくても、国家公務員の総合職や一般職に合格したり、裁判所や衆議院、参議院、地方上級職の公務員試験に合格する学生はたくさんいたし、十分に可能なことである。

しかし、そのような結果を出す学生たちはやはりわずかな専門学校での学習期間を本気で取り組み、必死になって勉強に打ち込んだ学生たちだ。一部の遊んでいる大学生には負けるわけはないのである。ただ、専門学校に入って、周りの友人や環境に恵まれていても、本気になれない学生もいて、当然そのような学生は結果が出ない。

公務員試験は学歴に関係がない。年齢制限だけで、本当に大学なんて出ていなくてもいわゆる大学卒業程度といわれる試験に合格、内定していくのだ。しかも学習期間はほんの1年数か月だ。

進学や就職などという時期は、短期間でも全力で努力すれば大きく結果が変わってくる重要な時だ。しかし、たった少しの短い期間ですらも本気になれず、真剣に努力しない学生がいるのである。それでは道が開けるはずなんてない。

だから、学生には、道を開きたいなら「死ぬ気で勉強してみろよ」と言いたい。また私も専門学校では学生に頻繁にそのような話をしていた。ほんのわずかな期間なのに、集中、没頭できない人間は多いものだ。これは学生に限らない。特に新たな道を開いたり、人生の局面を大きく変えたりしたいとき、自分を大きく飛躍させたいときには、そのような強力な熱意が必要だ。

それができないのであれば、環境を言い訳にしたり、周りのせいにしたりする資格はないし、そもそも自助努力のできる人間は、環境なんて言い訳にしないものだ。人間は勉強が足りなくて死ぬことはあるが、勉強し過ぎて死ぬことはない。だから、これまで殻を破って全力を尽くせばいいのだ。

しかも就職先を決める時期というのは、単位時間当たりの投資価値が非常に高い時期であり、この時期にどれだけのエネルギーを投入できるかが、大きな人生の進路と幸福度を決めるだろう。

そして何よりもそうやって目標に向けて努力しているときの充実感や達成感、そしてそのように過ごす時間が実に幸せであることを実体験して欲しい。私はいつもそう思って学生に接してきた。満ち足りた時を生きるというのは、努力で埋め尽くされた時を生きる、ということでもあるからだ。

だから、人生の大きな岐路にあるときくらいは、死ぬ気で勉強してみろよ。

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投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

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