東京法律専門学校でのスタート
学生時代をいかに生きるか ―専門学校教師編―その1
専門学校に入職してから2か月は、学生との関わり合いもなく、担任も持ってはいなかったが、前置きとして多少のことを述べておくことにする。
1993年の11月1日に東京法律専門学校での仕事がスタートした。当日は、早めに来るように指示があった。その日が、月初めで地方や、一部を除く全職員の職員集会が行われる日であり、そこで自己紹介をするように命じられたからであった。
校舎の2Fにあった広い教室に、多くの職員が集合していて、前には理事長をはじめとして多くの部長(基本的には各部署や校舎の責任者)が集まった職員に対面する形で座っていた。このような大勢の人間の前で話しをしたことがなかったので、その緊張たるやこれまでに経験したことがなかったほどだった。
私は「初心を忘れることがないように仕事をしていきたい」と決意を述べたと記憶しているが、果たしてこれが退職するまで守られたかどうかは、疑わしい。
ただ、驚いたのは、職員の数の多さだ。この頃は、学生数が急激に伸びていて、クラスの数も多く、担任の先生も不足していたのだろう。
このような背景がなかったら、私のような人間が採用されていたかどうかは疑わしい。同期には東大卒の若者もいたし、みんなそれぞれに優秀な人間ばかりだった。おそらくフリーターから、入職したような人間は私だけだっただろう。
その集会が終わったら、当時東京法律専門学校のトップだった部長のところに挨拶に行った。その後は、スタッフ本部というところに配属になった。この部署には次長や課長などがいて、私の上司でもあった。ここは教材や模擬試験の問題を作るところであり、とりあえずそこで問題などを作りながら勉強しろということだったのだろう。
私は、法律に関しては知識があったものの経済学に関しては全く無知であったから、この機会を利用して勉強しようと決意した。この部署での仕事はただ調査して問題を作るというもので、17時30分過ぎには帰ることができたので、勉強する時間は十分にあったのだ。
私は、本棚にあった教材などを借りて帰り、自宅でも勉強を開始した。経済原論に関してはミクロ経済学とマクロ経済学の二つが必要だった。公務員試験に必要な教科としては、今も大きくは変わってはいないのではないかと思う。
さすがにすぐにクラスを持つことはないだろうと高をくくっていたが、この2か月後(1994年1月)には、自分一人でクラスを担当することになったから、本当に驚いたものだ。
入職当初は慣れないことばかりで、バタバタとしてあっという間に一日が終わってしまった。思った以上に組織が大きく、この学校の全体像を知るまでにはまだまだ時間がかかりそうだと思った。
ただ、同じ部署に配属されたメンバーとはすぐに仲良くなったので、大きな不安もないスタートになったのである。
私は、基本的に出会う人には非常に恵まれていた。中には変な人や問題のある人もいたが、これまで人間不信になるような人には出会ったことがなかった。
その意味ではいいスタートが切れそうな予感がしていた。
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