朱に交わりても赤くならない
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その11
慶応義塾を創設した福沢諭吉は「朱に交わっても赤くならない」ことをモットーにしていたという(福翁自伝)。
学生時代はもちろん社会人になってからも、必要な付き合いというものはある。
そのような人間関係の係わり合いが無駄に思えたり面倒に思えたりすることはあるだろう。
自分の関心のある分野や興味のある物事に集中してその分野で力をつけていくことはとても大切なことだ。
しかし、人間には遊びの部分も必要であり、おそらくは8割を本業につぎ込み、2割をそれ以外の部分に使っていくということが、必要なバランス感覚というものではないか、と私には思える。
自分が好きではなくともお酒を飲んだり、時には友人の愚痴に付き合ってあげたり、一見無駄だと思えることに時間を使ってみたりすることは長い意味で無駄にならない場合も多いものだ。
福沢諭吉は友人の様々な会話に加わって話を合わせていても、自分はそのような世界に染まらないで自分の道を歩んでいたのだ。「独立自尊」とはそのようなしなやかさと強さのことを言うのである。
2割の部分が長い意味で無駄にならないというのは次の二つの意味があるからだ。
一つはそのような付き合いをしていくことが他人に対する友情や愛である場合があるから。
他人のために時間を使うということは、他人のために自分の命の一部をささげているということだ。それは友情や愛ともいえるだろう。
もう一つは、自分の知らなかった世界に目を開かせるきっかけになりうるから。
未知のものや未経験のものに目を向けるためには、確実ではない世界へ、自らを投企していくことが必要だからだ。それは本業から外れたものを試みることによってなされる。
もちろん自分が最も大切にしているものや、本業というものがある。その部分を最も大切にしているからこそ、その遊びの部分が生きてくるのである。
だから、決して本命、本業、本心を失ってはならない。あなたが最も大切にしたいもの、時間をそこに投入したいと考えているもの、そこを主軸にして、自分の心と経験の円を大きくしていくのである。
「朱に交わりても赤くならない」という精神をじっくりと吟味して欲しい。
自分らしくありながら、多くの人に交わって「人間交際」のよる果実を最大のものにする価値ある精神である。
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