本当の友達を得るために
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その35
私の学生時代の親友は違う学部で、サークルが同じ学生だった。
大学時代に親友得る、とか本当の友達を得るということの価値はやはり大きい。
この親友とは最初から非常に気が合ったので、ある意味で縁がある友人だったのだろう。
ただ私はこの友人以外のたくさん学生とも、本音で話す機会をたくさんもらったし、相手も本音で話してくれたと思う。腹を割って話をすることは人間にとってとても大切だ。このようなコミュニケーションの習慣がないと、だんだん心を開いた交流ができなくなってくる。
私は人見知りが激しく、コミュニケーションがそれほど得意な人間ではなかった。他人からどのように見られるか、評価されるか、嫌われはしないか、そんなことばかり気にして、あるがままの姿で他人と接することができなかった。
特に大学に入学したばかりの頃はそんな感じで、周りの人間の反応を気にしながら関わりをもっていたと思う。
今、振り返って思うのは、最初から素の自分を素直に出していれば、もっとよかっただろうということだ。他人に気を使いすぎるというのは、実際は自分に気を使っているからで、相手のことを本当に考えているからではない。自己愛のレベルから決して卒業できていない証である。
本当は、他人の反応で自分が傷つくことが恐いからである。
ただ釈迦の言葉にもあるように、全ての人に褒められる人もいなければ、全ての人に謗られる人もいない。あるがままの自分を出して、仲良くなれなければ、あきらめも必要なのだ。
自分が一番楽な姿勢で他人に接してみることが必要だ。
それでも受け入れてくれる人、また逆にそのような相手でも自分が受け入れることが可能な人、そのような人が長く一緒にいて、本当の親友になっていく人ではないか、と思う。
また相手に魅力を感じ、もっとずっと一緒にいて話し続けていたい人、そのような人が本当の友人になっていく人だろう。「ずっと話していたい」というのは重要なメルクマールだ。
ガチャガチャとした自分を守る鎧を脱ぎ捨てた姿を、臆することなく他人にさらけ出してみよう。本当の友人を得る道はそこからスタートするだろう。
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