最終の面接に挑む
間奏曲―フリーターの時代―その33
そして、それから一週間後。
最終面接に臨んだ。緊張感はほとんどなく、かなり自分のペースで話すことができた。
最後の質問で、私の今の仕事や過去のアルバイトなどについて質問された。私はどのような仕事でもやれるという自信があったわけではなかったが、どんなことでも勉強しながら乗り切ってみせる、という強い気持ちだけはあって、実際にそれは可能だと思っていた。
いくつものアルバイトを掛け持ちし、朝早くから夜遅くまで働いていたことを思えば、最終的には何でもこなせるだろうと思えたのだ。
最後の最後はそのような姿勢をアピールできたと思う。
実際に就職に関して、何か特別な技術や能力が要求されると考える人は多いと思う。しかし私は、どのような仕事でもしぶとくやりぬく体力や気力のほうがはるかに重要だと思った。
そのような意味で学歴や資格などよりももっともっと大切なものがあるはずである。
それは自分の人生を肯定的にとらえ、自分の置かれた環境を肯定的にとらえ、その中で自分のできることを精一杯やっていこうとするマインドの問題なのだ。
しかし、基本的にはそのような心構えを持つことのほうが資格や学歴を手にすることよりも難しいのかもしれない。
ただそれは全てが自分の心に委ねられているという意味で、本当に自分次第であり、環境や生まれ持っての能力など関係がないと言える。
そしてそれを身につけることは長い時間を要するものでもなく、自分の心を変えることで、明日からでも新たな自分に変わることができる。
仕事能力とは心の持ち方、向け方に大きな秘密があることは明らかであり、人ひとりの能力の違いはさほど大きいものではない。
その姿勢を面接で一生懸命に伝えた切れたのだと思う。
面接の最後に、いつから勤務できるかという質問をされた。
私は確信に満ちて「来月から可能です」そう答えた。
最終結果は一週間以内に郵送、または電話で来るはずだった。
私は今勤めている病院にすでにアルバイトの契約更新はしないことを伝えていたし、その件に関しては問題はなかった。
長い間、勤めた病院の仕事。周りのみんなはとても親切でアルバイト仲間同士もとても仲がよかったので、寂しい気持ちも当然あった。
この病院での仕事では本当に多くの事を教わった。
残りの数週間をとにかく一生懸命に働こうと、そう心に誓った。
ところが・・・
一週間たっても内定の通知が全く来なかった。普通は内定が決まれば、早ければ数日のうちに連絡が来るはずだ。
一週間経っても10日が経っても全く何の音沙汰もなかった。
「落ちてしまったのか」
毎日部屋に帰っては郵便受けを確認し、頭を抱えた。いや落ちても連絡は来るはずだ。
そう思うのだが、内定の通知なら速く来るはずなので、不採用の通知だから結果が来るのが遅いのに違いなかった。
絶望的な気持ちになった。
フロアの婦長さんに謝った。
「もう一年続けさせてください、本当にわがまま言ってすみません」
婦長さんは私を責めることなく「まだ次に来てくれる人が決まっていないので助かるわ」と言ってくれた。
ここまで来て落ちてしまうのが就職試験なのか。
アルバイト先にはあと一年そこで働かせてもらえるように頼み、何とか仕事は辞めずにすんだ。
結果の通知がこなかったことで私は大きく自信を失った。
また1から就職活動。
とにかく早く何とかしないと景気はますます悪くなっていた。
一番わかりやすかったのは、就職情報誌の厚さが徐々に薄くなっていたこと。
ピーク時には電話帳くらいの厚さがあり、非常に求人が多かったのだが、この頃にはその半分近いところまで薄くなりつつあった。
私は直感的にこの不況がかなり長期間にわたるのではないか、という気がしていた。
この不況は人為的な要素が強く、自然な景気の波によって起きているものではないことを知ったからだった。
この不況が終わる頃には40歳くらいになっている可能性があるのではないか、今就職できなかったらずっとフリーターでなければならないのではないか、と思った。
私が勤めていた病院の事務長が、休憩室での会話で私に
「この不況は長引くと思うから、今就職しておかなければかなり厳しいよ。早くアルバイトの生活から正社員になりなさい」
と言われた。私も全く同じ考えだった。
焦りが大きくなった。
ただ、今振り返って思うのは、この不況によって多くの会社が倒産し、経営者が自殺をし、失業者が世にあふれるという悲惨な状況になることはさすがにイメージできなかった。
私もまたその渦の中に飲み込まれようとしていた。
ただ、私は一度の面接を通過したというだけでも、自分の考えや話が通用することは実感できたし、長い目で見れば、方向性は定まったと思った。
今回の就職活動は、それだけでも大きな収穫があった。確かな方向性が示された。また次の機会が来るまで、コツコツとアルバイトを続け、勉強を続けよう。
それしか道はないのである。
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