日本人のための憲法改正入門(7)
さて、憲法を改正しなければならない理由はこれまでに述べてきた通りですが、それではどこをどのように変えるべきなのか、という話になります。
その前に、現行の日本国憲法の基本原理とされているものについて考えてみましょう。
皆さんも中学の社会科や高校の政治経済などの授業で日本国憲法の基本原理というものに関して学んでこられたと思います。それは以下の三つだと説明されます。
1 国民主権
2 基本的人権の尊重
3 平和主義
これが憲法の基本原理であるとされるということは、この三つが現在の日本国憲法では中心的な価値、根本的な価値であると認識されているということです。つまりこの三つが、この憲法の重要な基礎をなしていて、かけがえのないものだということです。
しかし、私は、この基本原理というものをもう一度ゼロベースで考えてみる必要があると考えています。
この三つの原理は普通に読む限り、非常に口当たりがよく、だれもが大切なものであると認めるであろうものだと思いますし、この基本原理に疑問を呈する人はほとんどいないのではないかと思います。
しかし、あえてこの基本原理をもう一度問い直すことが必要であると思うのです。それはこの基本原理というものをなくせとか、壊せとか、そのような議論ではありません。その価値を見直し、今後の日本の在り方に合わせた形にしていくということでもあります。
憲法を変えるとか、憲法を作り直すということは、この日本という国の在り方を構想し、具体化していくことです。憲法を設計図として国家の在り方は決まり、国民の幸せもそれに大きく影響されます。
したがって、日本国憲法の基本原理として、本当にふさわしいものをふさわしい形で規定していかなければなりません。それは文言ひとつの表現にしてもそうなのです。
現行の憲法は、そもそも英語で書かれていたものを日本語に翻訳したものであり、そこには日本人のもつ大和心が表現されているとはいえません。
考えてみれば、なぜ日本の国の在り方を決めるのに、外国に決めてもらわなければならないのでしょうか。自分たちでそれを議論し決めるべきではないでしょうか。大和言葉で表現し、自分たちの心を入れた、生きた憲法にすべきではないでしょうか?
このようなことから、今の日本国憲法の基本原理といわれているものが本当に、一般にいわれるほど疑いもなく素晴らしいものなのかどうか、その実態を含めて、これを検討する必要があるのです。
憲法学者は、基本的には現行の「日本国憲法」の解釈学を行っています。ですから、この基本原理を問い直すという作業はなされることがありません。
解釈学では、憲法の基本原理は当然に大切なものとして、アプリオリに前提にされているからです。
これを問い直すためには、歴史や哲学、法思想や比較法などの観点が必要です。そして何よりも日本の歴史や伝統、国の成り立ち、国風や国柄など、多くの視点が組み込まれていなければならないのです。
新しい憲法の在り方を考え、改正する、あるいは作り直すには、その基本原理を立て直す必要があるのです。
そうすることで初めて、憲法改正議論が深く、広い視点からなされることになるだろうと思いますし、そのような議論を深めなければ、本当の意味で、日本人の、日本人による、日本人のための憲法制定はできないはずです。
国民国家を前提とする限りは、この日本と日本人のための憲法改正(憲法制定)を実現する必要があります。
私はよく言われる世界市民とかグローバリズムの観点については反対しています。インターナショナリズムが世界の正しいあり方だと思っています。
日本は日本であること、その前提で諸外国と良好な関係を結ぶこと。これが真の国際化であって、福沢諭吉がいう「人間交際」を国々の関係に置き換えた「国々交際」の在り方です。これは欧米や国際金融資本中心のグローバリズムでは実現できません。
それぞれの国家がそれぞれの国であるために、それぞれの国の憲法は、それぞれの国が自分たちで作る必要があるし、その義務が国民にはあると思います。
次回以降は、その観点から、憲法学や憲法教育では当然の前提とされてきた憲法の基本原理と言われるものにメスをいれていくことにしましょう。
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