日本人のための憲法改正入門(6)
憲法の改正が話題になるたびに、第9条の改正が議題に上り、またそれが議題に上ると「日本は戦争ができる国になるのですか」とか「再び子供たちを戦場に送るつもりですか」とか「またいつか来た道を歩くのですか」などという感情的な議論が繰り返されます。
戦争は悲惨です。経験したくもありませんし、何事もない平安な日々が一番です。それは確かにそうなのですが、それだけを言い続けることが、本当に戦争を回避することにつながるのか、それを考えなければなりません。
日本が容易に憲法改正ができないのは、まだ国家として、先の戦争の総括が十分にできておらず、子供たちにその意味を自信をもって教育できておらず、また、外国に対して主張すべき見解があいまいであるからだと思います。
そこで、どうしても先の大戦の意味と、日本が戦争を行ったことの根拠や大義を検討しなければなりません。ここを国家として乗り越えない限り、日本は日本の本来の姿を決して取り戻すことはできないのです。
先の戦争は日本の立場から言えば、自衛戦争だった、という意見があります。
また一方、日本は侵略戦争をしたのだという意見もあります。
先の戦争はなかなか一筋縄ではいかない内容と方向性を持っていて、一つの論理でくくることが難しいと思うのですが、簡単に言えば日本は欧米諸国の植民地支配や世界戦略に対して、明確に自国やアジア諸国の利害を背負って「覇権戦争」を戦ったのだと思うのです。
そのプロセスで様々な問題があり、日本は難しい対応を迫られたとも思います。それを戦後、私たちが後付の論理で批判したり非難したりすることは簡単かもしれませんが、戦争に突入した当時は、そのようなきれいごとの対応は難しかっただろうと思えます。
韓国や中国は日本から侵略されたような被害者意識をもっているかもしれませんし、大陸での戦争が行われたのは事実ですから、それは一理あると思います(多くは作られた被害者意識なのですが)。また日本は自衛の意識やアジアの独立を大義として戦争を遂行したこともまた事実です。
世界史や文明史が大きく動いていく時期においては、世界に大きな影響力をもつ国家同士が戦争をすることはよく起きてきたことです。これからも起きていくでしょう。
日本も日本としての価値や歴史、文化や伝統を背負い、英米的な価値や利害とぶつかったのです。
また、日本には明治以降日清戦争、日露戦争などを戦い、勝利したことで「神国日本」という一種のおごり高ぶりがあったことも否めませんし、十分に近代化できないアジア諸国(特に朝鮮)に対して複雑な思いがあっただろうとも思います。
侵略戦争だった、とか自衛戦争だったとか、そのような議論を続けてもこの問題は解決しませんし、全ての人を納得させることは難しいでしょう。
もっと大きな視点(世界史、文明史)で先の戦争を考えて、「覇権戦争」という概念でくくり(覇権戦争には善も悪もありません)、そのプロセスで起きたことに関しては、一つ一つ事実を明確にして、その本当の真実を明らかにしていくべきだと思うのです。
例えば南京大虐殺や従軍慰安婦の問題も、事実を明らかにしていくことが大切で、きちんとそれに基づいた主張が必要です。これらの問題は事実を証拠に基づいて主張すれば、ともにねつ造されたプロパガンダが流布されているものであることがわかります。
私は、そのような作り話に翻弄されている暇があったら、事実を明確にした主張を繰り広げながら、先の大戦を戦った日本という国家や日本人が何を時代背景として持っていたのかを学び、それを訴える必要があると思うのです。
自国の歴史や文化、伝統を守る。植民地支配に苦しんでいるアジアの同胞を救う。
植民市支配を繰り返す欧米諸国の世界制覇は許さない。少なくとも人種差別が当然だった世界観とは断固として戦う。
このようなことを学ぶときに、今後日本がどのような国家でなければならないのか、世界の中で多くの人々の幸福や繁栄のためにどのような役割を果たすつもりなのか、これを決意し、訴える必要があると思います。
中国や韓国が「日本はまた侵略戦争をするつもりか」というならば、「侵略戦争などはしない」ということを憲法に明記し、同時に絶対に「侵略もさせない」という決意と気概を示さなければなりません。他国に侵略をさせないようにするためには、残念ながら現在の国際社会では「国防軍」は必須です。
そして、世界の真なる平和と繁栄のために、日本がどのような役割を果たしたいと思うのか、それを明確にして大義を掲げなければなりません。
そのような理念や理想を掲げる中に、大きな歴史の転換の中で、日本があの戦争を戦った意味が、より明確になってくるのです。
また同時に憲法を改正し、強く豊かな国家となっていかなければならない必要性と正当性が浮かび上がってくるはずです。
日本は欧米の国々(特に金にまみれた国際金融資本)とは違う方法と価値観で、世界の国々に影響を与え、それを時に指導し、導くことで、この世界を覆っている戦乱や貧困に終止符を打たなければならないのです。
また、グローバリズムの世界観のような、実は国際共産主義や全体主義を目的とする狂った価値観に対して、断固として「否」を突き付けなければなりません。
日本はそのような意味での世界のリーダーであるべきだし、また覇者でなければならないのです。また日本は今の世界で唯一、そのポテンシャルをもった国家であると思います。
かつての戦争の責任も大切かもしれませんが、それよりも、今後の世界の平和と繁栄に対する責任こそが、もっとも大きなものです。
私は日本がそのような役割を世界で果たしていくことが、先の大戦で命を落とした国内外の数多くの人々の犠牲に報いる道であると思います。
国民が心からそうありたいと願い、そうなるべく努力し、その理想に突き進む気概と情熱を持ち続けることができるならば、日本的なやり方で、世界の人々を幸せにしていくことができるはずです。
そのような基本理念があってこそ、憲法を変える意味があり、逆にそのような意味での国民的議論が行われてこその憲法改正なのです。
その前提を誤解しないようにしてください。
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