支援と支配
人間は、自分以外の多くの人を支援すべきである。
また、実際に支援されるべき人々は存在し、その助けを待っている。
ただし、ここには重要な落とし穴がある。
支援が支配につながらないように注意することである。
誰かを助けてあげたとしても、その人が自分で歩けるようなら静かにその場を離れると良い。
いつまでもそこに自分の影響力を持ち続けようなどとしてはならない。それは支援の継続性を意味し、やがてはそれが支配につながっていくことになる。
人間にとって「自助努力」が基本であり、本来人間は自立して生きていかなければならない。支援をあてにしたり、支援を継続的に受け続けるようになってはいけない。
必ず、自分の足で歩くことを、自分の人生の基本とし、また他人の人生もそうであってこそ意味を持つのだということを忘れてはならない。
世界には支援という名の支配がはびこっている。そこには支援する側の欲と、支援される側の甘えがあることは確かなことだ。
このために、支援と見えるものが支配に変わっていくことがある。また支配を目的として支援に乗り出すものもまた多いのである。
必要な時には、遠慮なく支援を乞うことが必要だが、自分で歩けるようになったら、それを離れて、自立することである。そして自分もまた、苦しんでいる人を支援し、自立させることである。
人間は自分の力で歩いて初めて、自分らしく、心からの幸せを感じることができる。
支配したりされたりする人生は、本来の人間の生き方に反するものだ。
必要な時に必要な支援を、しかし、それが支配につながらないように、必要がなくなったら、静かに離れよう。
人間らしき幸せは、そのようにして作られていくものだ。
その人が一人でも生きていけるようにすること、それが「愛」の本質だ。
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