探求
日本は、狭く、歪んだ、そして誤った言語空間や情報空間の中にある。
教育もしかりだが、マスコミや政府の流す情報などは、一部は正しいものかもしれないが
大方は間違っているか、隠匿されている情報が山ほどある。
もちろん、このような真実に気がついている日本人ははるかに少数派であり、仮想現実の中で自分の生活だけを考えて必死に生きている国民の姿がある。
日本人の多くはは非常に従順である。素直で純粋だ。
その意味では、操作されやすく、集団で動かすには適した国民である。
世間に流れている情報や、マスコミ、政治家、専門家などがいう情報をそのまま真に受ける。
もちろんそれが正しければ、日本は最強の力を発揮するだろう。
しかし、残念ながら、狂った情報や言語の洪水の中で、その奥にあるものを探求する姿勢がなければ、それ以上を知る可能性もなく、それに基づいた行動をとることも不可能である。
情報や言語空間が歪んでいれば、それは人間の認識をゆがめることになり、その歪んだ認識で間違った行動や生き方を選んでしまう。
「探求」
いつになっても、いくつになっても求められるもの。
「探求」
真実を求め、それに基づいた人間観や社会観や国家観、世界観を獲得すること。
その営みを決して止めてはならない。
学生時代も、就職してからも、働き続ける中でも、そしてどれだけ歳をとっても。
その基本を作るのが学生時代である。
探求は終わらない。それを終わらせないことが人間の使命なのだ。
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