心友(真友)を見つける
学生時代の大きなテーマは心の友を見つけることだ。たった一人でもいい。心 から信頼できて、本音で話せて、自分をさらけ出せると同時に、自分に真の孤 独を教えてくれる存在。
私はその意味では本当にラッキーだった。 私の所属していた音楽系のサークルにNという男がいて同じ県(長崎県)の出身だったこともあり、すぐに打ち解けた。彼は佐世保の出身であり、私は大村の出身であったが、方言も同じで、共通の話題も多かった。
音楽の趣味などが一致していたことも仲良くなった要因だったろう。 とにかくこのNという男には何でも話せる気がして、いろんな話をした(今考えるとNはコミュニケーションの達人だったのだろう、自分のことも遠慮なく話すし、こっちにも遠慮なく聞いてくる)。最初から壁がないのだ。
だから、自分の本当の気持ちや考えを隠さずに話せた。 自分から心を開かないと決して本当の友達はできないと思う。しかし、私はどちらかといえば自分から自己開示をすることが非常に苦手で(いつも聞き役に回ってしまい)、その面ではNが 私の心を開いてくれたと言ってもいい。
最近の学生はどうだかわからないが、人から声をかけてもらうのを待っていたり、何に対しても受身でいたりする学生は、当時もとても多かった。私もその一人だったかもしれないが、本当はコミュニケーション欲求が強かったのだと思う。
学生時代にどんどん孤独になっていく学生の中には、人との心からのコミュニケーションをとらない学生が非常に多い気がする。 コミュニケーションが苦手なのではない。
コミュニケーションをしないのだ。
そもそもコミュニケー ションが得意とか苦手というのは生まれ持った能力の差ではなくて、どれだけ自分と違った個性や考え方をもった人間とコミュニケーションをしてきたかの違いにすぎないからだ。 だから、苦手だというのは正しくない。 私の場合、このような心友を得たことがその後の4年間を実に実りの多いもの にした。
それもたった一人の友人を得たことだけで。
私はどちらかといえば内向的なタイプだったが、そのNは外向的で明るかった。 私たちはお互いに足りない部分を補完しあうようにして学生時代を過ごしたのである。
学生時代はまず、共に理解しあい向上できる友達を作りたいものだ。 私とNに共通していたのは、「学生時代をいかに生きるか」、という問題意識だったし、この4年間をとにかく実りあるものにしたいという強い願望だったと言える。
大学は授業やゼミやサークルやアルバイトや、様々な場面で多くの人と関わる機会は無数にある。しかも利害関係をほとんど気にしなくてもいい。だから、機会があるごとに、自分というものを、自分の考えというものを遠慮なく開示し、表現し、伝える場を持ち、そこで精一杯伝える努力をするべきなのだ。
拒否されても、合わなくてもいい。大学時代の人間関係なんて流れる川のようなものだ。自分が望まなければ、すぐに消えていくだけのはかないものなのだから。出会う人出会う人に、心を開いて真剣に語りかけてみよう。
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