後輩たちと自分の存在と時間
私が大学院進学へ向けて勉強していることは後輩達もよく知っていた。
それでもサークルの後輩達は毎日のように私の部屋に来ては様々な相談事をもちかけていた。
私は自分の悩みだけでなく彼らの悩みを一緒に考えたり、解決の方法を考えたりすることで、自分自身もずいぶん成長できた。
人間の悩むことはかなりの程度共通している。
そこには一定の規則性があり、人間の悩みの根本にあるものが何なのかをずいぶん勉強させられた気がする。
多くの後輩達にとっては私や親友のNの存在がサークルの「共有財産」のようになっていた。
しかし、この時期でも私は一番多くの時間を「彼女」ではない彼女と過ごしていた。彼女といるときはサークルの部室にも顔を出さないこともあった。
後輩の1人が、「先輩方が部室に来られないのは寂しいです。少しでも顔を出してください」と私の部屋に要望を言いに来たこともあった。
私はこの時期自分の進路のために勉強しつつ、サークルの後輩達全てのために時間を使うべきか、今のように彼女との時間を優先させるべきかを悩んでいた。
自分のエゴを捨てて、サークル全体のことを考えると、彼女との時間を優先する今の生活は好ましくないのだろう。
しかし彼女と二人だけの時間を大切にしたい気持ちも強かった。
私にとっては後輩達全てが貴重な財産だった。
また彼女との時間もそうだった。私は自分の感情にけじめがつけられず、この双方のバランスをうまく取ることができなかった。
いつも彼女と二人だけの時間を優先させてしまっていた。なぜだか、そんな自分が嫌になってきてもいたのである。自分の存在と時間はできるだけ多くの後輩たちのために使いたかったが、なかなかそれができなかった。
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