学生の名前が憶えられない
学生時代をいかに生きるか ー専門学校教師編ー その7
専門学校に入職してからはや1か月以上が過ぎて、クラスにも慣れてきたが、クラスの学生の名前を憶えるのに非常に苦労した記憶がある。
最初に入ったクラスでは68人ほどの学生がいたと思うが、その一人一人の名前がとにかく憶えられない。このクラスには女子学生は少なかった(2割弱)ので、比較的女子はわかりやすかったものの、とにかく男子学生は似ている学生も多く、最初はよく名前を間違えたものであった。
私は特に人の名前を憶えるのが得意でなく、記憶力が弱い人間だ。それもあって、全員の名前を確実に憶えるためには、1か月ほどもかかってしまったように思う。
名前を憶えるという基本的なことが、なかなか進まない。欠席の多い学生などもいて、混乱の極みだった。名前を間違えられた学生は、私の無能さにあきれ果てていたのではないかと思う。
名前を憶えるためには学生との接触面積や接触時間を増やすのが一番であるから、四六時中教室にいて、放課後なども学生と話す機会などを作るようにすることで、名前と同時に学生のことを知ることもできたと思う。
この学校のいいところは学生との距離が極めて近いことだった。学生との信頼関係を得られれば、学生の成長にも大きな効果が期待できるはずだ。また、そうであるがゆえに、私がこれまでに学んだことや得たことを学生に伝えるのも、十分に可能な環境にあったわけである。
とにかく頭の中が混乱する中、なんとか学生の名前を憶えて、クラス全体に働きかけることができるようになってきたのはもう2月になってからだった。
公務員試験までは、それほど日がない。彼らが目指している試験の中心はほとんど6月から7月にかけて試験が行われるから、あと3か月ほどしかなかったのである。
私のような新しい担任の下で、彼らも私も初めての公務員試験を迎えることになるわけだから、私と同様に彼らも不安だったに違いない。しかも時々自分の名前を間違えられた学生は、さらに不安が増したことだろう。
私が担任を持ってから以降の時期は、新しい教科の授業もそうだが、これまでにやった科目の演習なども加わって、やるべきことが多くなり、毎日遅くまで残って教材を印刷したり、授業の準備をしたりする日が多くなった。
また、私のクラスには行政系の公務員だけではなく、警察官や消防官、自衛官などを目指す学生もいて、それぞれの試験についても、まだほとんど何も知らなかった私は、その知識の収集にも努めなければならなかった。
こうして毎日が忙しく、帰っては授業の予習と読書をして寝る生活が始まった。まだそのころはお風呂もない3畳一間の高円寺の部屋に住んでいたから、生活面でも不便な状況は続いていたのである。
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