学ぶことの楽しさ
このような大学の環境にいて、私は「勉強」することは楽しいことだと感じていた。もちろん「勉強」というのが、受験勉強やテストのための勉強でないことだけは確かなことだ。
高校まではこのような気持ちになったことは残念ながら一度もない(ほんの少し、倫理社会の科目を勉強していて思想の面白さの予兆を感じていた)。
もちろん大学の授業での講義や演習が楽しいと感じていたわけでもない。
私は大学での勉強の本質は結局「自分の生き方の参考になる知識や知恵」を学ぶことなんだと思う。その生き方のために職業があり、そのために専門的な知識があり、教養が必要なのだ。
自分の生き方や価値観、ものの見方や考え方、このようなものが成長していくプロセスはとても楽しい。
この楽しさを知ったのも大学という場であった。
大学の先生方はもっと勉強することの意味や価値を、人間の生き方につながるものとして学生に教えるべきだ。決して専門科目の話を通じてでなくてもいい。実学は実学でいいのだが、やはり大学時代の学生に必須の何かがあるのではないだろうか。
そうして初めて大学での学問は生きたものとなるのだろう。
この頃の大学の先生は明らかに学生たちに「迎合」していた。どうせ大学生は学問のために大学に来ているのではない。学ぶ意欲はない。単位だけとって大卒の資格を得て、適当に就職して進路が決まればいいのである。
大学生は景気のよさや受験から解放された偽りの自由の中で浮かれていた。そして先生方もそれに歩調を合わせるかのような態度をとっていた。残念ながらそれが現実だったと思う。
学生たちはますます大学で学ぶことの意味や価値を見失い、刹那的な時間やお金、労力の消費に傾いていった。
そんな大学の中にいて、私は初めて「勉強することは楽しい」と思った。「こんな時間がもてるなんて、なんて幸せなことか」と思った。そしてこのような実感をきっといつか誰かに伝えたいと思っていたし、伝えなければならないと思っていた。
Share this content:
コメントを残す