学びの人生(学生)は続く
こうして私は大学院の修士課程を修了し、フリーターとなった。
大学院での2年間はしかしとても充実していた。
たくさん勉強したし、たくさんの人にも出会った。
また田舎では経験することのないことにもたくさん遭遇した。
ただ私の心の中には、ある種の傲慢さが生まれていた。
もともと学問を深くやりたいと考えたのは純粋に真理の探究を目標としていたこと、そしてなぜだかは分からないが「真理は人間を幸せにするものだ」と私が考えていたことがきっかけだった。
そのようなものを求めるのに必要ではないものをたくさん気にするようになってしまった。
プライドや見栄、他人の評価。
私の心には余計な心の塵がたくさんついてしまっていた。
どんな環境でも自分の求めるものは追求し続ければいい。
たとえどんな仕事をしていても、お金がなくても、人から評価されなくても、ただただ、自分に本当に自信を持つことができて、納得できる生き方をするためにも。
私は自分のこれからのことを考えた。
今24歳。これから30歳になるまでは、仕事で様々な経験を積みながら、コツコツと学問を続けていこうと(こんな悠長なことを考えていられたのは、当時景気が非常によかったからなので、今の学生には積極的にお勧めできない面もあるが)。
いつかは自分の学んだことを人に伝えることができるような、そんな仕事がしたいと思った。
大学院の博士課程の試験に失敗してフリーターになってしまう私をどんなにか両親は心配しているだろうか。またこれまでの両親の投資を私は無駄にしてしまったのだろうか。
そんな思いが心の片隅に残っていた。
それでも、自分の信じた道を歩んでみようと、そう決意した。
私は新たな生活のために、またアルバイトを探し始めた。正社員を選ばなかった理由は、複数の仕事を掛け持ちしながら、経験値を高めたかったからだ。
それにこれまでの自分が学んだことをいったんゼロにして考えると、もっと色々な環境下にある人と出会える仕事がやりたかったからである。
ここから、4年以上にも渡る、長いフリーター時代がスタートすることになった。
世に言う「学生時代」は終わりを告げた。しかし、「学生(学びの人生)」としての私の生活は、実はまだ始まったばかりだったのである。
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