愚民になってはいけない
普通の社会人の生活は、非常にわかりやすいものだ。
朝から仕事に出かけ、それが終わると、飲みに行ったり、そのまま自宅に帰ってきてはテレビを見たり、ゲームに興じる。そして一日が終わり。また明日も同じことの繰り返しだ。
休日には、長く寝ていてだらだら過ごすことも多いが、時々は気晴らしにどこかに出かけて遊ぶ。エンターテインメントの世界は時に必要だが、それだけに浸って、そこから外に出られない。
このようなことがルーティンになっているから、社会人で読書をする人の数は少なく、その読書の冊数も非常に少ないのが現状である。
もちろんそれで立派に社会人として給与を得ており、家庭を営んでいるわけだから、何の問題もないのようであるが、果たしてそれだけでいいのだろうか。
学ぶというのはもちろん本を読むことに限らないが、最も簡単な自己投資と言える読書ですら、ほとんどの社会人が実行できていないのであるから、日本人が愚民化している理由も納得できるというものだ。
この場合の愚民とは、本を読まない人、とか知識のない人、などのことではなく、単純に、新しいことを学ばない人のことである。
これまで学校で教わったり、マスコミで流れる情報の中だけで生きてきたり、権威のあるように見える人間の言うことをそのまま受け入れたりして、それ以上を追求しない人。これが愚民なのだ。
自分の生きやすさだけに安住して、自分の本質、社会の本質、世界の本質に踏み込もうという意欲のない人、これがまさに愚民である。
学生たちには、受け身の人生を生きる愚民にはならないで欲しい。
積極的に自分の人生を変え、他人を変え、社会を変えるためには、単純に一人一人が、「当たり前」を疑って学ぶだけでいい。
社会を変えるのに、声高にプラカードを掲げて叫ぶ必要などどこにもない。ただ学べばいい。社会や政治を変えると息巻く彼らが、実は一番学んでおらず、思考停止していることは非常に多いのだから。
だから、ただ1冊の本を手に取って、今日から、さあ学び始めよう。
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