孤独死の家を片付ける
間奏曲―フリーターの時代―その19
便利屋の仕事で、家の片づけと処分を頼まれたことがある。
そこはもともと老夫婦が二人で住んでいて、先に奥様がなくなられた。その後はご主人が一人で住んでいたが、病気で倒れ、自宅の布団の上で亡くなっていた。この頃はまだ、孤独死などという言葉は流行ってはいなかったが、もうすでにこのような状況は東京のどこにでもあったのだろう。
依頼があったその家に、早朝、社長と二人で出かけた。朝早い時間から片づけを始めなければ到底終わらない、と言われていたからだ。
玄関に入ってからすぐに普通の家ではないことがわかった。においや散らかり具合が半端でない。1Fはどの部屋を見てもゴミで埋もれている。信じられないくらいの散らかり具合で、1Fが生活の場所ではないことがわかった。足の踏み場もなかったからだ。
2Fに上がると、そこは比較的ものが少なく、十分に生活できるスペースがあった。その中の一室に、血まみれになった布団が敷いてある。
ここでおじいちゃんが亡くなったのだ。
マスクをして、血の付いた布団を運び出す。まずは手の付けやすい2Fから片づけが始まった。そこの家具や物品を運び出し、トラックに積み込んでいく。午前中になんとか2Fは片づけが終わった。
1Fは地獄のような世界。ものが多すぎてゴミを掘り出すような作業が始まった。栄養ドリンクの瓶などが大量に出てくる。自分で料理ができないから、このようなもので補給を続けていたのだろうか。2Fで飲み食いしたものをすべて1Fに投げ捨てていたかのような風景。
これをすべて空っぽにするのが仕事だ。相当なスピードで作業をしたが、なかなか床の底が見えない。
ようやく終わりがみえたのはもう夕方になっていたが、そこにこの老夫婦の親族がやってきていた。運び出された物品から金目の物を物色している。なんという光景なのだろうか。老人を一人にしておいて(しかも病身の老人だ)亡くなったら金目の物を拾いに来る。これが現実なのだ。
それを尻目に見ながら黙々と作業を続ける。社長と二人だけの作業だから時間がかかる。疲労困憊で、ようやくすべてを片付けたのは夜になってからだった。
1人で生活し、2Fで寝起きしながら最後の生活を送った老人の心境とはどんなものだったのだろうか。
自分が育てた子供や、孫たちは、何らのサポートもしなかったのか。
便利屋で仕事をしていると、このような深刻なことを考えさせられる事案に時々出くわすことがある。この老夫婦を自分の両親に置き換えると、こうして故郷を離れて好きなことをやっている自分も、本当は同じ穴のムジナではないのだろうかとも思うのだ。
まだ両親が元気なうちに、できることはやらなければ、そしてこのような孤独な死に方を、決してさせてはならないと、この時心に誓ったものである。
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