大学時代の飲み会

大学時代の飲み会


学生時代をいかに生きるか まとめ編 その39

大学の学園祭は毎年秋に開催されていたが、合計で4回、大学の学園祭に参加したことになる。

私の所属していた大学(鹿児島大学)では、とにかく学園祭後(最終日)の飲み会がすさまじかった(今はおそらく禁止されているだろうか)。

私はお酒が全くと言っていいほど飲めないので、先輩からのお酒の無理強いをいかにかわすかとか、誤魔化す、とか、そんなことばかり考えていた。

飲んだふりや酔ったふりをしなければ、身の安全が保障されなかったのである(今ではとてもありえない昭和の話だ)。

大学2年の時だけは、どのようなサークルにも所属していなかったので、友人と二人で学園祭最終日の夜に、飲み会で花盛りの大学キャンパスを見物に行った。

それはもうすごい体たらくで、酔ってキャンパス内にある池に飛び込む者、止めてあったバイクに放火する者など、通常では考えられない世界が展開していた。

このような騒ぎを冷静な目で見ると、本当に馬鹿げているのだが、おそらくは自分もその中に入ってしまえば、同じようなことをするのだろうとも思った。

この頃は景気が良くて、誰も将来のことなんて心配していなかったし、就職のために大学の早い時期から準備をしたり、資格をとったり、そんな学生はほとんどおらず、安心して遊びほうけていたわけだ。

しかし、大学の飲み会で、色んな人の様子を見たり、会話を聞いたりしていると、当時の学生もまた、何ともいえない不安や空しさを感じていたのではないかと思う。

普段は自分の本音を全く話せないのに、お酒の力を借りて、酔った勢いで本音を一気にぶちまける。

しらふでは自分の本心をきちんと話す勇気もない。そんな小心で繊細な学生たちの姿は、実は今でもあまり変わらないのかもしれない。

周囲の人間に合わせて自分らしくないむなしい日常を送る。

今振り返ってみても、そんな学生がとても多かったと思う。

私はそのような学生生活は絶対に送らない、ということを決めていたので、自分の考えや気持ちはできるだけ正直に、ストレートに語るように努力していた。

今の大学生は一体どうだろう。

就職も厳しい。将来の見通しも立てにくい。みんなが自分のことで必死なのかもしれない。

ただどんな時も、結局自分の人生を切り開いていくのは、自分の意思と努力でしかない。環境のせいにはできないものだ。いつの時代も、周囲に流されて、主体的な判断や選択のできないものは、没落の憂き目を見る。

こんな中だからこそ、学生同士でお酒を飲みながらでも、お茶を飲みながらでもいい。きちんと他人と向き合って、自分の本当の気持ちや考えを語り合う場所を持って欲しい、と感じるのである。

そして、自分と他人との違いを知り、他人に合わせるのではなく、自分は自分だという選択を、しっかりと行っていって欲しい。大学時代の飲み会が、そんな本音を語り合う、人間交際の真の潤滑油になれば、投資価値はとても大きなものになるのではないだろうか。

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投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

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