大学入学
大学に入学したのはもう30年以上前になる。あの頃のことは今でも昨日のことのように憶えている。記憶と実感が鮮明な時代。きっと自分の中で充実感があった時代だったのだろう。
故郷から初めて一人暮らしをすることのワクワクした気持ちや不安、そしてなんともいえない高校時代の友人たちへの郷愁などがあり、かなり複雑な気持ちだったことを憶えている。私の級友のほとんどは故郷の長崎大学に入学し、離れ離れになってしまうからだ。ただ、同じクラスからこの鹿児島大学にも私を含めて3名が入学することになっていて、その意味では全く一人というわけでもなかった。
高校で同じクラスにいた好きだった女の子も長崎大学の教育学部に行くことが決まっていたので、もう会うこともほとんどないだろう。切ないとはこんな気持ちなのだと思った。当時は当然ながらスマホもPCもない。つながることができるのは自宅の電話か手紙だけだ。
そして初めて実家を離れて異郷の地に行くのも、自由のようで不自由な世界での生活を意味していた。今まで身の回りのことは母に頼り、お金のことは父に頼っていた。父や母に対する複雑な感情と感謝の気持ちは、もう身近なところで直接に表現することも伝えることもできない。
故郷の大村市を電車で出発した。大村駅には母や多くの友人たちが見送りに来てくれて、故郷を離れるという実感は否が応でも強くなった。またすぐに帰ってこられる距離なのだが、なぜなのかずっと遠くに行く感じが私の意識をとらえて離さなかった。高校の思い出を故郷においていこうと思えば思うほどに次から次にいろんな記憶が蘇ってきた。
しかしここから学生時代のすべては始まった。特急電車に揺られながら、大学では一体何をしようかと考えていた。大学に学問をやりにいくなんて全く考えてもいない。そんな学生は当時もほぼ皆無だったろう。もはや大学は当時レジャーランドだった。
私の高校生活は、大学に入ることそのものが目的になっていた。そのために正直に言えば、嫌々勉強してきた。ようやくそこから自由になるのだが、自由というものの怖さを私はこの時にまだ十分に認識していなかったといえるだろう。
大学時代には大学時代の目標を探さなければならない。しかし、入学当初はそんなことすら考えず、ひたすら受験勉強から開放されたという開放感に浸っていた。高校時代に友人と音楽をやっていた私は、ギターを持って電車に乗り込んでいた。これから出会う様々なものに心が躍った。特急電車で6時間くらいの距離が、本当に長く感じられた。
一人暮らしはもちろん初めてである。その時は大学生だというだけで、明るい未来が待っているかのような気持ちだった。様々な束縛から開放されて、一体自分はどこに行こうとしていたのか。一体何が私を待っているのか。
西鹿児島駅(現鹿児島中央駅)に到着して、路面電車に乗り、純心学園前で降りた。大学の合格が決まった時に、母と一緒に住む場所を探しに来た。時期が遅かったために、もうかなりの物件が埋まってしまっていて、とりあえず四畳半のまかないつきの家に下宿することになっていた。家賃は4万5千円、とはいっても朝と夕方は食事がつくので、現在ではかなり安く感じられるだろうが、それでも当時は普通だったのだ。
長い坂の途中に純心女子校や短大があって、そこを通過した高台の上に、私の住処はあった。多くの学生が同じ建物に住んでいた。窓からは桜島が良く見えて、景色だけは抜群だった。やっとたどり着いた下宿先の天井の木目を見ながら、荷物が到着するのを待っていた。
疲れた体を横たえて、これからのことについて考えた。大学で、何をするべきなんだろう。今更だけど、そもそも何しに大学に来たのだろうと。

Share this content:
コメントを残す