大学の授業
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その33
大学の授業についてはその内容を私はほとんど憶えていない。
結局は先輩からの情報で単位を取りやすい授業や、出席確認の甘い授業を取ることにした。私には大学で学ぶ目標なんてなかったし、学びたいと思うものがあって大学に行ったわけではなかった。
どのような科目に自分が興味や関心があるのかも正直よくわからなかったので、とりあえず何でもいいから単位の取りやすい授業を選んだ。家庭の事情もあり、留年などは絶対にできなかったからだ。
ただ、不思議とオーソドックスな講義よりも、その先生の個人的な思い入れのある授業を憶えているもので、そのほうがインパクトが大きかたからだろう。
たとえば「法学」の授業では憲法第9条に関して、ひたすら講義するという授業があった。結局平和が大切だから憲法第9条は守らなければならないという、戦後の平和主義の典型的な結論なのだが、この先生が「きけ、わだつみの声」などを引用して、いかに戦争が国民を不幸にするかということを述べられるので、印象には残ったのである。
ただ私は「きけ、わだつみの声」を読んで、日本の独立を守るために戦った若者がいたことに誇りを感じたし、それだからこそ自衛隊も大切で、国防が重要だという結論に至った。感情論では国家の独立を守ることはできないのではないかと。
ただこのように自分の思い入れを授業する先生がいたことは、その意見が正しいか否かはともかくとして、自分の心にある種のインパクトや問題意識を残すので、大学での授業はそれでもいいとは思った。
しかしそれは学生が批判精神や自ら学ぶ姿勢を持っている場合のことであって、授業をうのみにした学生は非武装中立というような考えを持つようになったことだろう。
単位をとること比較的容易ではあるが、本当に深く学ぶことは難しい。そのためには自分で異なる意見や考えを学び、さらに深く検討する時間や学習が必要である。
様々な問題について批判的に検討する力を養うということがなければ、大学での学びは意味がないものになるだろう。
その意味では大学の先生に討論を挑めるくらいの学生の存在が必要だろう。素直に学ぶことから自分の考えを熟成させるまでには、自分自身での積極的な学びが必要なのである。
大学時代は必ず、そのような時間を作り、そこまで学んで初めて大学で学んだと言えるのだということを忘れてはならない。
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