夜間の印刷作業
学生時代をいかに生きるか ―専門学校教師編―その9
この専門が校では、授業に当初は一般の市販されている教科書を使っていた。また、学生の演習用には問題集もあった。ただこれだけではどうも材料として十分ではない。
そうなると学生たちのためにも、他の教材が欲しくなるわけだが、適当なものを購入させるわけにもいかないので(お金の徴収も面倒だし、自分の受ける試験には必要でない学生もいたりする)、結局自分たちでプリント教材を作ることになる。
とにかく、この専門学校では、演習量が半端でなく多いことが成果につながっているのだと思っていた。ずっと後に、卒業時の学生が学校で配られたプリントをすべて捨てずに保管しておいたら、積み上げて天井の高さにもなったと言っていたくらいだ。
私も担任を持ってからは、なんとか次のテスト(週に1回、月曜日に行っているテスト)で少しでも平均点をあげたいと考えて、負けず嫌いの私はあれこれと演習材料を考えたわけである。
自分で独自に作ることもあれば、他の先生と共同で作ったこともあった。印刷室があってそこに依頼することもできたのだが、仕上がるまでにそれなりの時間がかかってしまうために、すぐに使うものは、自分たちで印刷することも多くなってしまう。
自分たちで印刷していると印刷機が故障したり、うまく回らなかったりして、夜の10時や11時間までかかって作業したこともまれではなかった。
この頃は私もいわゆる労働時間などというものはほとんど意識したことがなく、必要なことはどれだけ残ってもやっていたのである(多くの学校の先生はこのようなものかもしれない)。良いことではないが、すでに職場の雰囲気がそのようなものだったともいえる。
今では、学校独自の教材も作成され、多くの演習用のプリントもそろっていると思うが、私が入職した当時は、毎日が自転車操業状態だった。通常19時まで授業をして、そこから翌日の準備や教材の作成などを行っていたので、夜は遅くなるのが通常で、12時間労働などは普通だった。
ただもちろん、これは自分たちで勝手にやっていたことで、上司から命じられたものでもなく、ただ学生のためが半分と、残りの半分はテストでの平均点をあげたいという担任としてのプライドのようなものがそうさせていたと思う。
最初は若かったせいもあるが、このような仕事の仕方は、結局習い性になってしまい、朝早く夜遅いという仕事習慣が、退職するまで続いてしまうことになった。
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