同期の友人の退職

同期の友人の退職


学生時代をいかに生きるか ―専門学校教師編―その12

この専門学校では、実にいろいろな学生に出会い、色々な経験をさせてもらったのだが、私の記憶で、時系列がはっきりしないことが多く、振り返ることが難しい。おそらくそれだけ毎日忙しく、ただただ走り続けてきたからだろう。

幸いにして、日記をつけていたので、その頃の自分の日記を手掛かりにクラスのことや学生のこと、この学校で経験したことを述べてみよう。

専門学校に正式に入職した同期は、私以外に10名ほどいたが、私が担任をもってからすぐの1月には、同期の一人が退職することになった。おそらくはクラスに入ることになって、すぐに自分には合わないと思ったのかもしれない。事情は詳しく聞くことはできなかったが、この学校の仕事は、向き不向きがあると感じていた。

とにかく学生との距離が近いので、学生と不仲になったり、好き嫌いが出たりすると、とたんにその場(クラス)が地獄になる。ストレスは非常に大きいものになるだろう。

私も長いクラス担任の経験の中で、全てがうまくいったというわけではなかったから、そのストレスの大きさは実感している。

対人力とでもいうべきものがかなり要求されると思うし、一人の担任で抱えるべきものが多いので、やりがいは大きいし、仕事能力は飛躍的に伸びる。ただしかなりのストレス耐性があるか、逆に無神経なくらいでないとやっていくことは難しい。

退職した友人は、やはり繊細な感性の持ち主で、ややストレスには弱かったかもしれない。講師として授業だけを担当するのとは全く違うストレスがあることが、いわゆる普通の「講師」とは全く違うところであった。クラスのマネージャであり、モチベーターでもあり、やるべきことは本当に多かった。

私も入職前は、やるべきことがこれほど多いとは想像していなかった。

私自身を振り返って、当時の日記を読んでも、担任になってからの仕事の大変さに多少ストレスはあったようで、日記には愚痴めいた記述がある。ただ、私自身はそれでも、給料をもらいながら、自分も勉強させてもらっている、という気持ちが強かった。学生に教えるためにはあらゆる科目を学ぶ必要があり、学んで教えて、生活できることは、当時の私にとってはとても恵まれた境遇だったのである。

だから、退職するなどということは全く考えていなかった。ただ、私の当時の同期の職員たちは、数年の間に、ほとんどがやめてしまった。

私は、「結果を出すために、これからはもう自分の時間はないと思わなければならない」、と日記には書いていて、自分なりの決意はしていたようだ。

自分の将来に向けた修行の時期としてこの学校の仕事をとらえていたのである。

Share this content:

投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

すべての投稿を表示

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Proudly powered by WordPress | Theme: HoneyPress by SpiceThemes