受験前の4月にクラス替え!
学生時代をいかに生きるか ―専門学校教師編―その15
クラス担任を持ってから早くも3か月。このまま春から受験に突入かと思っていたら、4月にクラス替えを行うという決定があった。私にとっては初めて担任したクラスで3か月。ようやく学生の名前も憶え、個性も把握してきた頃だった。
その意味では、私にとっては非情な決定で、非常に困惑したことをよく憶えている。
ただもちろんそれは1月から担任をもった私の立場からの見方であって、他の先生方はすでに1年間、同じクラスを担当してきたわけだから、何の不思議もない通常の決定ではあったわけだ。
公務員クラス全13クラスがシャッフルされて、私はまた新たな学生と向き合うことになった。この頃が一番ストレスの大きかった時期かもしれない。
校舎の場所も変わった。当時は錦糸町駅の再開発のために、専門学校の校舎が錦糸公園の中にあった。仮の校舎だったのだ。そこに入ることになった。学生たちもこのクラス替えをどのように受け止めたかはわからないが、担任によってはクラス運営の仕方が大きく変わることもありうるので、混乱はあったと思う。
4月になり新学期が始まった。
また学生に自己紹介をして、1からクラスを作り直す必要があったが、この時期からは演習が中心となっていたので、授業運営そのものは楽になった。ただ、私のとっても最初の受験クラスであり、結果が出せるかどうかの不安や焦りで、毎日落ち着かなかった。また、クラスを受験に向けてまとめていく力は、まだ私にはなかったと思う。
学生一人一人と面談をして、彼らの志望先を確認したり、学習の進み具合をチェックしたりとまた60人以上の学生と面談する時間が必要だった。学生に問題などを解かせている最中に、廊下で面談するのである。
それに加えて、私の隣のクラスの担任の教師がしばしば体調不良?などで遅刻したり欠席したりしていたために、同時に隣のクラスも見なければならなくなることもあった。忙しさがマックスのなかで、クラス運営は自分の思うようにいかないことも多かったと思う。
同じフロアには3つの教室があったと思うが、私以外の二人の担任は1人が私よりも10歳近くも若く、もう一人は私と同じ年だったと思う(この二人はやがてこの専門学校を退職後50代になるかならないかの若さで病気によって亡くなっている)。完全担任のやり方の欠点は、教師に何かあった時に、カバーすることがかなり難しくなるということだろう。私も責任感から、体調が悪くても無理に出勤して授業を行ったことは何度もあった。
「休めばいいのに」、と言われそうだが、自分のやり方で通常運営しているクラスを、まる一日他の先生(しかも自分でもクラスを持っている先生)に任せることが心理的にいかに難しいかはわかるだろうと思う。
こうして、受験までわずかな期間の中、新たなクラスでの最初の公務員試験の受験を迎えたのである。
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