誰もが勉強家になるべき時代に
大学生になったら、周りの人から「勉強しなさい」と言われることは少なくなる。
大学受験までが、基本的には勉強の終わりであって、あとは就職さえ決めれば、もう勉強しなくてもいいのだと考えたり、勉強しなくてはと思っていても、実際には行動に移せない学生も多いことだろう。
学問というものは、基本的にはかつては支配者層が身につけるものであって、一般人は自分の身近な職業的な技能や知識で十分であった時代もある。
論語には「人民には治者が決めた政策に従わせることはできても、その理由まで理解させることは難しい」という記述がある。
江戸時代の朱子学などもまさに、治者の学問であって、庶民はどうせわからないし、知らせる必要もないということだったのだろう。
しかし、時代は変わり、今私たちは治者となった。
本来ならば、高い学問を身につけ、治者としての学びをしなければならない時代である。民主主義というものはそのようなことが庶民に要求されるものである。
多くの人は、自分の職業的な知識や技能に加えて、治者としての学びをしなければならなくなったのである。そして、その知見に基づいて、政治家を選び、政策を委託する。
その意味では、政治家よりも庶民の方が学ぶことが多いことに気がつく。
自分たちの生計をたてるための学びと、治者としての学び。
なんと厳しい時代だろうか。
だから、「勉強しなさい」という言葉は、民主主義の担い手である私たちが、私たち自身に対して、絶えず言い続けなければならない言葉。
私たち庶民が学ばなくなると、それに応じた政治家たちが、それに応じた行動をとって国の方向を誤った方向に導いていく。
日本は、多くの庶民が、自分たちの職業以外のこと関して学ばず、無関心であり続けている。スポーツ、テレビや動画、エンターテインメント、セックス。これが全てである社会人がほとんどである。
たまにはそれもいいだろう。
しかし、本当に学ばなければならないことは、自分の在り方、社会の在り方、国の在り方、世界の在り方である。
しかし、これほど情報や知識にあふれ、学ぶにはこれ以上にない環境がある中、それを活かさないのは本当にもったいないことだ。
この時代を、この機会を、この環境を、フルに活用して、勉強家になろう。
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