全ての時間が仕事となる
間奏曲―フリーターの時代―その15
そのようなわけで、私は土曜日の午後を除いては、ずっと朝から晩まで何らかのアルバイトをやって働き続けていたわけだが、あるきかっけから、学習塾の講師や家庭教師をやることになった。
土曜日の午後に、学習塾の仕事を手伝って欲しいという依頼を受けたのだ。正直に言って、土曜日の午後が唯一私の自由な時間だったので、ここが仕事で埋まってしまうことには不安や抵抗もあった。
だが、これがきっかけで何かの扉が開かれるかもしれない。そう思って引き受けることにした。こうして、小中学生がいる学習塾で、講師の仕事を始めることになった。
これが教育の仕事の第一歩と言えたかもしれない。
ただ、このために私の体力的な面は、かなり限界にきていたように思う。事実上土曜日の午後から塾の仕事をやっていたので、それが終わってからの土曜日の夜間が唯一、自由時間となり、自分の時間はさらに少なくなった。
さらに追い打ちをかけるように、塾の生徒の保護者から、家庭教師を頼まれた。塾に、誰とも話をせず、いつも暗い表情の生徒がいた。その生徒はいつも心を閉ざし、他の生徒や先生にもなかなか心を開かなかったのであるが、ただ、私にだけはポツリポツリと問いかけに反応し、応えるようになってきていた。少しずつ心を開いてきていたのである。その生徒が私に家庭教師をやって欲しいと、保護者を通じて依頼してきたのである。
当然ながら、空いている時間は土曜日の夜しかない。
私はもはやこれは自分が試されているのだと考えて、この仕事も受けることにした。土曜日の20時から22時まで、彼の自宅に伺って家庭教師の仕事が始まった。彼の高校受験が終わるまでの期間、英語と数学を土曜日の夜の2時間を使って教えたのである。
このような形で、ほぼ休みも自由な時間もないような生活が、少なくとも1年は続いただろうか。
その間、一度も体調を崩さずに、仕事を全うできたのは何度も言うように、天祐だと思っている。無理に無理を重ねたが、なんとか持ちこたえることができた。若さゆえに可能だったと言ってもいいだろう。
しかし、このあたりから少しずつ人生の旋回が始まってきていた。
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