人生論とアカデミズムについて
学生時代をいかに生きるか まとめ編 その16
ここ最近、数多くの大学が学生を集めることができずに、定員割れや募集停止に陥っている。
大学の存在意義が問われる時代は、ますますこれからが本番といったところだろう。
最近では就職に有利な進学を考える高校生や保護者が多いことだろう。
4年間もの時間と高い授業料をつぎ込んで、(以前の私のように)フリーターになってしまうよりは、専門学校に行って、きちんと就職して欲しいなどと考える保護者が増えるのは当然のことだ。
一方ではまだ大学卒という学歴にとらわれて、どこでもいいから大学にいくことが価値あることだと考えている保護者もいる。
これからは教育機能の高い専門学校と、個性的な教育研究を行うことができる大学が、共に残っていくことだろう。
学生の立場からこの問題を考えてみる。
学生はただ就職先を探すためにだけ大学に行こうというのではない。
実は大学のアカデミックな機能は、長い人生を考えるとき、非常に重要な役割を果たすのである。
単に技術や職業訓練の観点ではなく、人生について考え、数多くの経験をして自分を知る。
多くの時間を使って、数多くの本を読み、考え事をして、友人と話し込んだりする。
そんな中から、自分の本当の人生を掴み取る。
一生を貫くような価値観や人生観を育む。
これができれば、大学に行く意味は十分にあるわけである。学問の価値は現在でも決して衰えない。
多様な価値を学び、数多くの考えや意見に接し、少しずつ自分の考えを紡ぎだす経験は、何物にも代えがたいものなのだ。
大学に入学したら、大学の出口(就職先)は意識しておく必要はあるだろうが、単に全てをプラグマティズム(有用性)の観点から考えるのではなく、自分の人生をあらゆる観点から練り直すということをいつも意識して欲しい。
それがいつ役に立つかはわからないが、そのような学びもあるし、やはり必要なのだ。私は「人生論」の授業を行う大学が出てきてもいいのではないかと思っている(私がまさにこのサイトでやろうとしていることだ)。
就職のための大学。学問のための大学。
双方を両立させるのは、大学の制度や教員の役割でもあるだろうが、学生は自分自身でその矛盾することもありうる二つのベクトルを統合していく努力をすることだ。
この二つを統合していくのは「学生時代をいかに生きるか」という視点であり、同時に「人生をいかに生きるか」という人生論なのである。
Share this content:
コメントを残す