不労所得と経済的自由

不労所得と経済的自由


お金のインテリジェンスを身につける ーその3ー

塾の運営をやっていた時に、子供たちと話をしていると、お金持ちになりたいという子供が非常に多いことに気づいた。自分の将来の仕事などは具体的に考えていなくても、経済的に不自由なのは嫌だということで、これは至極当たり前のことかもしれない。

若い彼らは欲しいものがたくさんあって、今はそれが手に入れられないから、お金持ちになって自分の欲を存分に満たしたいということなのだろう。実際にユーチューバーなどの活躍をみると、若くても好きなことをして大きなお金を稼いでいる人がいることが子供たちにも十分にわかっているわけだ。

様々な分野で若い人が活躍し、大きなお金を稼ぐことはとても良いことであり、子供たちにもそのような大きな欲や希望は持ってほしいと私は思っている。もちろん現状はそのような若者ばかりではない。ミニマリストと呼ばれるように物欲がなく、必要最低限のものがあればそれでいい、と言う人もいる(私もそれに近いかもしれない)。それほどの経済的な豊かさに関心をもたない層も増えてはいるのである。

どのような考え方をするにしろ、自分が生活していくための最低限のお金に不自由することだけは誰もが避けたいはずだ。そこが脅かされるほどの不自由や不安はないからだ。

そう考えると、「不労所得」ということが必要なことがわかってくる。つまり働かなくても得られるお金が、最低限の生活費を支えられる金額に達すると、まずは第一段階の自由が得られる。

この段階は、自分が仕事をしなくても生活できる状態だから、他人から拘束されたり、組織に縛られたりする不自由は解消される。仕事はしてもしなくてもいいということである。これが第一の自由である。

次には、もっと便利で快適なものや欲しいものを手に入れられる自由がある。簡単に言うと買い物をするときに、欲しいと思ったものを、その値札を気にせずに買える段階の自由である。これが第二の自由。

そして最後は社会や他人のために必要なお金をいくらでも自分の気持ちのままに提供できる自由がある。これを第3の自由と呼ぶことができるだろう。

結局人間は、このいずれかの段階の自由のためにお金が欲しいと考えているはずだ。そしてそれ自体は否定されるべきものでもないし、健全な欲であるとも言える。ミニマリストは第1の自由が満たされることで満足できる人なのだ。

この自由の段階は1つ1つ階段を上がるように達成されるものかもしれないし、突然第2の自由に行きつく人もいるかもしれない。もし最低限の自由をいうなら、第1の自由をまずは目標にすべきなのかもしれない。

多くの人は結局、生活費を賄うために仕事をせざるを得ないという生活を送っている。もし最低限のこの縛りだけでもなくなれば、かなり楽な生活(精神的に)が送れるはずなのである(生活保護がこれを目標にしていることに気がついた人もいるだろう)。

生活保護を受けている人は、もし健康であるならば、実は第一の自由は達成しているともいえるのだ(とはいっても国の制度に依存しているので厳密には自由ではないが)。このジレンマはまた別の機会に述べることにしたい。

さて、これからの人生。あなたはどのような自由の段階を目指すだろうか。何よりもまず、働いても働かなくても生活を支えるだけの収入を目指すだろう。この部分をいかに不労所得で賄えるか、ということが重要な課題になってくるのである。

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投稿者:

山道 清和

日本の未来への発展と繁栄のために、日本の学生には自分から学び、考え、自分の意見を持つことのできる人材になって欲しいと心から願っています。就職や公務員試験に関する相談も受け付けています。遠慮なくどうぞ。

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