一期一会の仕事
間奏曲―フリーターの時代―その9一
「便利屋」で仕事をしていると、世の中には実に様々な仕事があることに気がついた。
というよりも、本来は自分でできるのかも知れないが、忙しいゆえに、あるいは人手が足りないがゆえに「便利屋」に頼む、という仕事がたくさん発生する。
一番多かった仕事は、引越しや掃除の仕事だった。
確かにたくさんの荷物を運ぶというのは本当に大変で、現在でも引越しの業者がたくさんあって、サービスの質や水準、料金をめぐってしのぎを削っている。
また、掃除にしても本来は自分でできるような仕事だが、時間がなかったり、他の仕事で忙しかったり、掃除すべきものの対象が多すぎて人手や時間が足りない人が、仕事の依頼をしてくる。
私自身は引越しの仕事で、実に色んなところに行った。
便利屋はプロの引越し業者ではないが、個人の引越しなどは、かなり安価な料金で引き受けていた。
だから、プロに頼むほどではないような仕事であれば、「便利屋」にたくさんの依頼があるのである。
また、掃除にしても、個人の家庭の掃除を引き受けることも多かったが、マンションやアパートを経営している会社やオーナーから依頼が来ることもあった。
基本的には料金の安さが売りであったが、仕事はかなり高い水準で行っていた。
それなりにプロ意識をもって仕事をすることは、アルバイトであっても当然である。
私は、アルバイト先の人から「社員にならないか」と言われることが、アルバイトとしてしっかり仕事をしていることを認められる基準であると思っていた。
だから、必ずそういわれるまで、一生懸命に仕事をしようと思ったものである(便利屋の社長からは固定給で仕事をしないかと言われていたが、平日は他の仕事もやりたかったので、断った)。
この仕事を通じて、多くの人々の生活の様や生き方をみることができた。
もちろん、些細なことではあったが、仕事の様々な技術や知識も身につけることができた(掃除のテクニック、ペンキ塗り、ブロック塀づくり、壁のクロスの張替えなどなど)。
今でも記憶にあるエピソードもたくさんある。
思い出もたくさんある。
その仕事を通じて出会った人もたくさんいた。仕事というものは、楽しいものだということもこの仕事を通じて学んだし、実感した。
色んな人々の生活世界を垣間見ることができて、実に多様な生活の形態があることや、境涯があること、家庭環境があることも知った。
便利屋というのは意外に依頼者の生活や人生について触れることの多い仕事だったのだ。
一度きりの仕事もたくさんあったが、その都度、できるだけその時々の出会いとそこで感じることや思ったことを、自分の財産にしようと努めた。
「一期一会の仕事」
それが便利屋の仕事だった。実際はリピートでの依頼も多かったが、毎回このお客さんとは最初で最後。そう思って仕事をした。
だからこそ、決して手を抜かずに頑張れたのだと思う。
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